毒も栄養も喰らうのが人間である

ところが最近、自生的なルールが声高な人々によって偏ったものにされ、法律以上に何かを排除するものになってきている。その背景のひとつにはSNSがあるだろう。

2023年夏、ある芸能人が、帰省先の実家前の駐車スペースで自分の子供たちや近所の子供たちと花火を楽しんでいる写真を自身のSNSにアップしたところ、「うちの近所でこれやられたら迷惑だ」とか「住宅街でフェスほどぶち上げる神経が分からない。通報する」といった批判が寄せられた。

もちろん「大人が見守る中で子供たちが花火を楽しむ微笑ましい光景だ」「夏の一夜くらい子供たちに手持ち花火やらせてあげてよ」などと、この写真や記事を支持する反応が多く見られた。

批判コメントを見ると、自分に直接害があったわけではないのに、「住宅街で花火をやるべきでない」という個人的な意見を一般化しようという欲求が垣間見える。それが問題なのだ。

「うちの近所でこれやられたら迷惑だ」庭先での花火の投稿がSNSで炎上…SNSを介して正義を振りかざし、誰かを叩きたい人が陥っている病_2
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SNSでの投稿は不特定多数の目にとまり、さまざまな価値観をもつ人々の反応を呼ぶ(それが隠されてきた不正や犯罪を明るみに出すという利点ももつことはもちろん認めるが)。その際、自分の価値観が正しいと信じ、かつそれをわざわざ言いたい人が、匿名性に隠れて自分の意見を強く主張する。

いわゆる「ネット世論」では、少数だが自分の意見に強い思いをもつ人々の意見が繰り返し投稿されることがある。繰り返し主張されれば、やがてそれが一種の〈公序良俗〉と化して人々を暮らしづらくすることもある。

ルールは、自分の価値観が絶対だと思い込んでいる人、極論を主張したい人、声の大きい人がSNSを手段として変えられるものであってはならない。SNSを介して自分の〈正義〉を振りかざし、いつも誰かを叩きたい人は、いわば心の栄養失調に陥っているといえよう。

私の好きなもうひとつの言葉がある。『グラップラー刃牙』の登場人物で「地上最強の生物」と呼ばれる範馬勇次郎のこの言葉だ。

「防腐剤…着色料…保存料…様々な化学物質、身体によかろうハズもない。しかしだからとて健康にいいものだけを採る。これも健全とは言い難い。毒も喰らう、栄養も喰らう。両方を共に美味いと感じ――血肉に変える度量こそが食には肝要だ」

SNS時代、皆、心に毒も栄養も喰らっておおらかに生きよう。

写真/shutterstock

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「自分の娘がもし殺されたら司法になんか委ねたくないね」
なぜ男性は座って用をたすようになったのか

『ルールはそもそもなんのためにあるのか』 (ちくまプリマー新書)
住吉 雅美 (著)
「うちの近所でこれやられたら迷惑だ」庭先での花火の投稿がSNSで炎上…SNSを介して正義を振りかざし、誰かを叩きたい人が陥っている病_3
11月9日発売
880円(税込)
176ページ
ISBN:978-4480684660
ブルシットなルールに従う前に考えてみよう!
この国で疲弊しているあなたには「法哲学」が必要だ

決められたことには疑問も持たず従うことが正しいと思っている人が日本社会には多い。だが、ルールはどういう趣旨で存在するのか、その目的を理解した上で従うものではないか?

ルールの原理を問い、武器に変える法哲学入門。

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ルールは、そもそも何でそういうルールが作られたのかという目的を考えなければ理解できないし、また、それを忠実に守ることによって自分が得られる利益と、それを破ることによって得られる利益とを天秤にかける必要も出てくる。……

私は、守った人が損をするルールはダメルールだと考えている。その意味では日本の議会、政府、自治体は、ルール作りがヘタッぴだなーと思っている。そういう怒りを込めて、この本を書こう。……

フランスのアナーキスト、ピエール・ジョセフ・プルードンは言った、「法律は、金持ちにとっては蜘蛛の巣。政府にとっては漁網、人民にとってはいくら身をよじっても脱けられない罠」だと。まさに今の日本の状況そのものじゃないか!……

こんな日本でルールをどう語ったら良いのか。政府や役所を信頼してもしょうがないから、庶民が各自の生活と命を守るための自生的なルールの可能性を考えてみよう。
(はじめにより)
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