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裁判制度があっても、復讐は消えない──
キャンセル・カルチャー問題

いろいろな紛争を裁判で解決することが常識となっている現代でも、まだまだ人々の復讐心は絶えていない。『必殺仕事人』など復讐代行の暗殺者ものの人気が強いこともその表れである。たとえ判決が確定しても、被害者側や社会の人々が刑の内容に納得しないということは少なからずあるし、裁判自体が誤審だったのではないかと有志が再調査するケースもある。裁判は万能ではない。

そして、裁判の俎上にのらないものの、人々が〈道義にもとる悪質なこと〉と考える事柄に対して、現代においても怨恨そして復讐心が発動される場合がある。但しその場合、本人たちは復讐などと思っている訳ではなく、裁判では実現されない正義の行使だと確信している。そのひとつが「キャンセル・カルチャー」である。

キャンセル・カルチャーはSNSを用いて、社会的に重要な立場にある著名人の隠蔽された過去の犯行や前科、不祥事を明るみに出すことによってその人の責任を追及し、結果的に失脚させるなどの活動を指す。もちろんこれは現代の正義実現の新たな一手段となりうる。

泣き寝入りさせられてきた被害者たちが声をそろえて告発し、密かに罪を犯してきた社会的強者の法的責任を明らかにし追及するというかたちで、である。

2017年にアメリカの映画界大物プロデューサーが、過去30年にその立場を利用して多くの人々に性的暴行を行ってきたことを被害者たちによって告発され、結果的に逮捕されたという事件はまさにその典型である。

「自分の娘がもし殺されたら、司法になんて委ねたくないね」裁判制度があっても、復讐の思いは消えない…現代のキャンセル・カルチャー問題_1
ハーヴェイ・ワインスタイン被告
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しかし一方でキャンセル・カルチャーは、SNSという匿名性のある手段を用いて、ある人物の過去から現在にわたる何らかの言動(必ずしも法律違反ではない)によって傷つけられた人々や、そこまでいかなくてもそれに「義憤」する人々が、それらを暴露することによってその人物を失脚させる手段としても使われる場合もある。

この場合は、法的に裁かれずにのうのうと活躍している人物、あるいは受刑を終えたがそれでも許せない人物に対する、被害者の消せない恨みを晴らすべくその者を社会的に抹殺するための手段、つまり復讐の手段ともなり得る。

これらのケースの中には、加害者が反省し謝罪し償っても、被害者側が納得しない限り生涯許されないといわれることもある。しかしこの場合、加害者がいつまで・どのように責任を負うかについて決めるのはいったい誰なのだろうか?

被害者主導で決めるのだとすれば主観的、一方的であるし、怒りの感情が持続する限り加害者は許されないことになる。犯罪とはいえないが道義にもとる愚行については、被害者側やそれに同調する人々の心情次第でいつまでも再起が許されないことになるが、それはリンチだろう。