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時代に応じて変わるべきルールもある──
たとえば結婚

あらゆるルールが人々の有益さのために変更されてよいというわけではなく、あらかじめ定められたルールに従わなければならない。だがそれはあくまでゲーム、そして同時代の社会を成り立たせるためのものだった。

一方で、人類が歴史を重ねていくうちに、かつてのルールが相応しくなくなることがある。理由は、かつてのルールが差別を含んでいたり、特定の人々を抑圧していたりすることが明らかになるからだ。その場合には、できるだけ多くの人々が幸福になれるよう、改変する必要がある。

夫婦同姓が婚姻の条件になるのは世界で日本だけ。地裁では同性婚を認めないことは憲法違反の判決も…世界から取り残される日本の婚姻制度_1
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いつまで異性同士の単婚制にこだわる?

日本では戦後、家制度(明治時代に規定された、戸主に家の統率権限を与える制度)はなくなり、婚姻は日本国憲法によって「両性の合意」に基づくべきものとされた。にもかかわらず、いまだに結婚式や披露宴に行くと「○○家と△△家」との立て看板がある。そして女性は結婚に際して、まだ「○○家に嫁ぐ」とか「嫁入りする」と言われる。

夫婦同姓としても当たり前のように夫の姓が選ばれ、戸籍や年賀状などでは夫はフルネームだが、妻はその横に名を添えられるだけである(そもそも夫婦同姓が婚姻の条件になるのはいまや日本のみである)。そして妻は「家内」、夫は「主人」と呼ばれる。法律はともかく、人々の意識はまだ戦前の家制度を引きずっている。

それどころか、日本ではまだ、法律上結婚は異性同士の単婚制(一夫一婦制)に限定されている。それは戦後日本の社会保障が「夫、妻、未婚の子」の核家族を標準世帯とし、男は外で働き、女は家族の面倒をみるという性別役割分担意識が深く刻み込まれているからだ。

こうした結婚観は、時代でいえば18〜19世紀ドイツの哲学におけるそれにとどまっている。19世紀ドイツの法学者フリードリッヒ・カール・フォン・サヴィニーは、婚姻とは個人の権利や意志から独立した制度であると述べ、18世紀にカントは、一夫一婦制の意義を、異性同士のふたりが相互に自分の全人格を委ね合うことによって、自己を性欲の対象として相手に与え、かくして種族を保存することにあるとした。

だが今日の欧米では、同性婚が認められ、合法化されつつある。アメリカ合衆国において2015年6月25日、連邦最高裁判所が、同性婚に異性婚と同じく憲法上の権利を認めた。長らく異性単婚のみを法的に正当化してきた欧米にも、同性婚を認める、あるいは合法化する流れが生じており、いまや日本以外のG7諸国は同性婚を認めている。

日本では近年、地方裁判所レベルで、「同性婚が認められないことは憲法14条に反する」などの判決が複数出ている。しかし首相やその近辺、国会などが、同性婚を認めると「社会が変わってしまう」などときわめて否定的、時代錯誤的な見解を示している。こんなふうにマイノリティの権利を認めない国家に未来はないだろう。

さらにヨーロッパには、法律婚にこだわらない国々もある。たとえばオランダには「登録パートナー制度」がある。それは男女に限らず同性カップルのパートナーシップも認めた制度で、2000年には養子を迎えることも認めている。この制度ができて以来、オランダではとくに法律婚に固執することのない、パートナー社会に変化してきているという。またスウェーデンでは、社会組織の単位が家族でなく個人におかれ、性別役割分業の否定に基づく家族政策がとられている。同国では「サンボ法」というものがあって、サンボと呼ばれる同棲カップルに、婚姻関係にある夫婦とほぼ同等の権利が与えられている。欧米ではこのように、結婚の自由化が徐々に進んでいるといえる。