一人の甘ったれた若者の上京物語

「都市の空気は自由にする」という言葉がある。

中世ヨーロッパの農奴が都市へ逃れ、ある程度の期間を経過すれば法的に自由の身になれることを指したドイツの歴史用語だそうだ。学のない僕は、ずいぶんと大人になってから読んだ中高生向けの新書でこの言葉を知ったけど、「これはかつての自分のことではないか?」という気がした。

僕は地方で生まれ、地方の大学に進学した。ところが大学生活がうまく行かず半引きこもりのような状態になり、それまでの生活から逃げるように上京した。東京駅で新幹線を降り、「この場所には自分のこれまでのことを知っている人間は誰もいないのだ」と思った瞬間、体に電気が走った。あの解放感は今も忘れることができない。

その後はアルバイトをしながら、もともと好きだった絵を描くことで食える道を模索した。もちろんうまくいかないこともたくさんあったが、落ち込んだり悩んだりしながらも、心のどこかで(たぶんこれが、かつて思い描いた青春という時間なのだ)とほくそ笑んでいたような気がする。つまりは充実していて、楽しくて、自由だった。

中世ヨーロッパの農奴と西暦2000年代の甘ったれた若者を重ねるのもどうかと思うが、ともかく僕は「都市の空気で自由に」なったのだった。めでたしめでたし……

とはいかないのが現実なのだろう。若いころ思い描いた東京に、現在の自分の姿はない。なんとか生活していけるようにはなったものの、その分好きに使える時間が減った。日々の生活にキュウキュウとし、体力は少しずつ衰え、気力も萎えてきている気がする。見たかった映画はいつのまにか上映終了、読みたくて買った本が机の横に積み上がっていく。ため息混じりに鏡を見れば、髪の毛が薄くなっている。

僕はいつしか、逃げてきた都市で自由になった若者の後日談を生きていた。そして、この漫画のノブヒコたちに訪れようとしているのも、そういう時間だ。

都市で歳を重ねていく、かつて夢見る若者だった地方出身者。

逃げのびる場所はすでになく、できることは迫りくる現実と切り結びながら一日を生き延び、積み上げていくことだけ。さらに襲いかかるであろう、自らの老い以外の諸問題。

ちょっと笑えるエッセイ風漫画のつもりで描き始めた『東京ハゲかけ日和』ですが、今後はハードボイルドバトル漫画になっていくのかもしれません。