「いっそのこと坊主頭」ならどうか

「将来自分の髪の毛が薄くなって、それを隠すためにカツラをかぶったり、変な髪型にしたりするくらいなら、いっそのことスキンヘッドにする」

そんな浅はかなことを考えていた若いころが、僕にもたしかにあった。

毒舌芸人に「植毛」「ヅラ」と揶揄されながら何食わぬ顔でTVに出演している芸能人や、7:3分けならぬ9:1分けとでもいうような奇妙なヘアスタイルで政策を語る政治家を見て、半ば不思議に思っていたのだ。
しかし、自らも歳を重ね、薄毛問題が我が身に現実としてふりかかってきたとき、そう簡単な話ではなかったことがようやく理解できるようになってきたのです。

まず、大前提として「いっそのことスキンヘッド」は人を選ぶ。
頭の形がはっきり出るし、体型やキャラクターによっても似合う似合わないの差が大きい。ちなみに僕は身長170cmちょっとの華奢な骨格。おそらく似合わない部類。ここに気がついていなかった。

では「いっそのこと坊主頭」ならどうか。
若い頃は坊主にしていた時期もあったし、抵抗はない。ところが、これには息子が反対した。以前「髪ヤバくない!?」とニヤニヤしながら指摘してきた息子が「まだそこまでしなくても大丈夫!」と止めるのだ。
言われてみれば、若いころにヘアスタイルの1つとして選択した坊主と、やむにやまれず選択する坊主では意味合いが違う気がする。白髪も多いからゴマ塩坊主になり、見た目が一気にお爺さん化するだろう。息子はそれが嫌らしい。

「いっそのこと」は、会社に勤める人にとってさらに高い壁のようだ。
この漫画を描くにあたり、取材としてアラフォー会社員の男性数人にお話を伺った。特に営業職などの場合、スキンヘッドはもとより、坊主にするだけでも意図しない迫力が出てしまい、取引先にいらぬ気遣いをさせてしまうこともあるという。(もちろんスキンヘッドや坊主頭の営業職の方もおられるだろうが、それこそ当人のキャラクターに寄る部分が大きいだろう)。

長く続けてきた髪型は、その人の職業やイメージと一体化している。
一般人の僕たちが「いっそのこと」と思い切れないのだから、ファンや支持者のイメージが重要な芸能人や政治家は、老いを見せることにはさらなる躊躇があるだろう。そのまま月日が過ぎ、当人のイメージと世間のイメージのズレが広がってしまうのは仕方ないことなのかもしれない。

「会社員は帽子かぶって打ち合わせに行くわけにもいかないですから」

取材中、僕が実際に言われたことだ。その日は髪の毛をセットする余裕がなく、帽子をかぶって家を出た。特に薄毛隠しのつもりがあったわけではないが、この先そういう目でみられるのかも…いや、既にそう思われていたのか…(その後、僕が帽子をかぶって外に出る機会は減った)

「いっそのこと」と思い切れない僕らは、これからどう薄毛と向き合っていくべきなのか。