王者揃いの大手・大橋ジムのホープと東京で対決
ジムの看板選手となった阿久井をサポートするため、守安会長は2016年に自主興行「桃太郎ファイト」を赤字覚悟で復活させる。だが、コロナ禍の影響と、その強さゆえに阿久井の対戦相手はなかなか見つからなかった。
そんななか、無敗のホープ桑原拓との防衛戦が、井上尚弥を筆頭に多くのチャンピオンを擁する大手・大橋ジムから打診されて実現する。
高校2冠で元アマエリートの桑原選手はアマ実績だけみれば、格上の相手だった。阿久井がアマチュア時代最後のリングに上がったのは2013年の国体で坪井智也選手(現自衛隊体育学校、2021年世界選手権金メダリスト)との一戦。結果は敗戦だったが、桑原はその坪井を破って優勝している。
また、試合が行われるのは大橋ジム主催の興行だった。かつてアウェイの地で、不可解な判定に泣かされ続けた守安会長は、これをどう思ったのだろうか。
「まあ、昔みたいに地元選手が優遇される判定はもうないでしょう。ただ、会場の歓声とか、いろいろ影響を受けることもありますけん、倒さないと勝てんというつもりで」
試合は、阿久井が1R早々に右ストレートでダウンを奪う。さらに最終ラウンドで再び強烈な右を当てて倒し、そのまま試合は阿久井の10R KO勝利で終わった。最終回のダウンは、セコンドについた父・一彦さんの指示によるものだった。
「判定じゃと何があるか分からんからね、最後倒しに行け、いうてね」(一彦さん)
1Rでダウンを奪ったストレートも、実は事前の対策通りだった。阿久井は取材時、スマホの画面を差し出し、桑原選手が右ストレートをもらうアマチュア時代の試合を見せてきた。
「このパンチを何度も練習してたんですよ」
阿久井は楽しそうに話す。その姿を見て、一彦さんが「ワシは小さいころから坊主(政悟)に練習せえと言ったことは一度もない」と話していたのが浮かんだ。
「子どもは好きでやっとることのほうが才能が伸びるんよ」(一彦さん)
筆者ははっとした。記事の体裁のために、地方ジムのコンプレックスが彼の飽くなき上昇志向の原動力になっているといった、紋切り型の言説を当てはめることができないと思わされた。
要するに彼らはボクシングが、心底好きなのだ。