4000万円をかけて臨んだ手作りの世界戦
ユーリ阿久井政悟が所属する「倉敷守安ボクシングジム」にとって、所属選手の世界挑戦は3回目となる。
1回目は1999年、2回目は2001年。いずれも当時、ジムのホープであった東洋太平洋王者のウルフ時光による挑戦だった。
1999年、守安会長は21歳の時光にすべてを賭けた。後援会などの協力を受けて4000万円を工面して、ジムの自主興行「桃太郎ファイト」で念願の世界戦を実現させた。場所は倉敷市営の体育館だった。
会場の手配やマッチメーカーへの依頼、また放送局との契約など、興行の準備は守安会長がすべて直接あたった。
だが、1度目の世界挑戦は惜しくも12R TKO負けで終わる。2年後に再び岡山で実現にこぎつけた2度目の世界挑戦も、3R TKO負けだった。
「チケット収入や協賛で助けていただいたこともあって1回目はとんとんじゃったが、2回目の世界戦は2000万円くらいの赤字でしたかねえ」
莫大な赤字を抱えることになった守安会長だが、当時をサバサバと振り返る。しかし、試合をしたウルフ時光本人に尋ねると、様子はまったく違った。
「他の方から聞いたのですが、2回目の世界戦で私がレフェリーに止められて負けたとき、会長はしばらく椅子から立ち上がることができなかったそうです。でも試合前もその後も、会長はお金のことや準備の苦労に関しては一切私に言わなかったですね。今でもそのときのことを思い出すと感謝の気持ちというか、大変申し訳ない気持ちがわき起こります」