芸能界の「キングオブ余技」がヨギーに至るまで

約40年前、彼が世に出た時の肩書はモノマネ芸人だった。
しかしその後、俳優、ボクサー、画家とさまざまなものに手を出し続け、今はヨガの人である。ある意味、誰もが認める芸能界の「キングオブ余技」と言ってもいいだろう。

芸能人が本業以外に手を染めることが好意的に見られないにもかかわらず、なぜ彼はこんなにもいろいろなものに手を出し続けてきたのだろう。

もともと片岡鶴太郎が本格的にこの世界に入ったのは、高校卒業後に声色(こわいろ)芸の片岡鶴八に弟子入りしたことが最初である(有名なエピソードとしてその前に女優の清川虹子に弟子入りを志願したが断られた経緯がある)。

カバン持ちを3年、ガンリーズと言うコントグループで2年など芸歴を重ね、紆余曲折がありながらも芸能の世界で少しずつ頭角を現していった。

厳しい芸能界で生き残るために必要なのは超人“片岡鶴太郎スタイル”か!? かつてはボクサー、今はヨギーの鶴太郎が手を出し続けた35年の「キングオブ余技」生活_1
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『オレたちひょうきん族』時代からシフトチェンジする未来を見据えていた?

そんな彼の名前がお茶の間でも有名になったのは1982年の『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系列)の出演がきっかけ。

マッチ(近藤真彦)のモノマネをする人としてひょうきんベストテンに出演した彼は、その後コンスタントにテレビ出演する売れっ子お笑いタレントになった。

しかし、当時のインタビューの時点ですでに「もう一段階、なんかやりたいですね。ドラマとか。なんかもう一つ自分の作品としてヒットするようなものを作りたいですね」と話しており、レギュラー9本を抱えながらドラマに出始めた87年ごろのインタビューでは「お笑いだけでやってたら、バラエティの司会だけなら、う〜んあと5年。(中略)ドラマは少なくとも台本はあるしキャラクターとは別に役柄を掘り下げることもできるしね」と俳優業へのシフトをかなり色濃く語っていた。

そしてここから鶴太郎の人生の振れ幅は拡大の一途を辿る。