幼少期の自分にとって、少女漫画は拠り所だった
——『大奥』は男性からも根強い支持があります。同作は少女漫画誌「MELODY」で連載されていましたが、青年誌などで連載することは考えましたか?
いえ。「MELODY」は山岸凉子先生の『日出処の天子』を連載していた白泉社さんでしたので、とても光栄でした。
そもそも、自分の作品はすべて少女漫画だと思って描いています。
——『きのう何食べた?』もですか? 媒体は青年漫画誌「モーニング」(講談社)ですよね。
はい。私の中では少女漫画です。周りの友人たちからは連載当初「青年誌でやっていけるの⁉︎」と連絡をもらうぐらいでしたけれど、長く愛していただいているので、本当によかったです。
その点、『環と周』は80〜90年代前半の少女誌に連載されていそうな作品です。
たとえば、明治時代が舞台の第2話では、環と周が女学生として出会って仲を深めていく物語ですが、懐かしいタイプの少女漫画になったと思います。
——女学生同士の絆を描く一大ジャンル「エス」を思い出しました。
”百合モノ”の元祖である吉屋信子先生は、昭和や大正を舞台に「エス」の小説を綴っていらっしゃいますよね。『環と周』第2話の舞台は明治時代ではあるのですが、近いと思います。
——少女漫画にこだわる理由はありますか?
私が幼少期を過ごした80年代ごろまでは、少年漫画じゃないものはすべて少女漫画が内包していた時代でした。青年漫画っぽい作品もBLもありで、混沌としていた。
たとえば、一条ゆかり先生の『砂の城』は、30代後半の女の人が18歳の青年と恋に落ちる話ですが、「りぼん」で連載していましたから。一条先生で言うと、同じく「りぼん」で連載されていた『デザイナー』も、お仕事漫画としても金字塔。先ほど出た『日出処の天子』の主人公は同性愛者ですし……。
少女漫画は、男女に限らず人間の性愛や友愛など、いろいろな関係が描かれていて、子どものころの自分にとっては、拠り所のようでした。