「大事なものは左胸に」大聖堂とマルコ

翌朝8時に駅に行ったけど、フィレンツェ行きの新幹線に乗れたのは2時間後。前日に到着し、朝から観光するはずだったのに、フィレンツェのホテルから出かけたときには、もう3時を過ぎていた。

「フィレンツェは革製品が有名だよ。露店でも安くていいものがあるから、20年前の新婚旅行で買ったベルトをまだ使ってるんだよ」

父にそう聞いて買いに行ったらぼったくられ、逆にうんと値切ったりしていたらどんどん時間は過ぎた。

フィレンツェ一番の観光名所、赤いドームのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に着いたときは16時半。16時45分で閉まると書いてあったのに、もう門は閉まっている。16時までに入らないといけなかったようだ。

仕方なく入口で写真を撮っていたら、中から出てきた警備の人と目が合った。おいで、と手招きをする。

「日本人ですか?」

少しだけ日本語ができるその人は、「特別に少しだけ見せてあげる」と私たちを中に入れ、お客さんが帰ったあとの内部を案内してくれた。

私の名前をたずね、渡されたのが翌日用の2人分のチケットで、大聖堂やウフィツィ美術館などを回れる周遊券だった。

「車椅子だと塔には登れないけど、フィレンツェを楽しんでね」と、英語の単語と少しの日本語で、歴史も教えてくれた。なんてやさしい人だろう!

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『私はないものを数えない。』より ©︎ Sumiyo IDA
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「おはよう、みゅう」

翌日も通りかかったら、その人はまたいて、自分はマルコだと教えてくれた。偶然に出会ったおかげで楽しかったし、やさしさが心にしみこんだ。

ちゃんとお礼を伝えたいと、フィレンツェ最終日に手紙を渡しに行った。夜、ホテルでまず日本語の手紙を書き、翻訳アプリでイタリア語にして、それをまたカードに書き写したものだ。

「こんにちは、みゅうです。私は日本で、車椅子で生活しながらモデル活動をしています。ミラノファッションウィークに参加するために、初めてイタリアに来ました。いろいろ親切にしてくれて、ありがとう。マルコさんのおかげで、フィレンツェをとても楽しめました」

簡単な手紙だけど、マルコはにこっとして受け取り、制服の胸のポケットに入れた。最初は右側に入れようとして「ノー、ノー、ハートサイド」と自分で言いながら左側に入れ直した。

大事なものは心臓の近くに――うれしかった。