松村邦洋とコロッケのものまね芸のちがい
日々の暮らしの中、《発見》すると、すぐこのノートにつけるのだ。外出中はスマホのメモ機能に入力しておき、帰宅後に転記する。
この《発見》における価値は、だれかとだれかの距離が離れているほど、つまり「意外」であればあるほど高い。
「顔面相似形」も「ギャグアップ・顔面」も、この価値観は同じだった。
〈だった〉と過去形である。「ギャグアップ・顔面」は雑誌が休刊になったからだが、「顔面相似形」は続行中である。にもかかわらず過去形にする。ここ数年の「顔面相似形」は、価値観が変わってしまったからだ。
ものまね芸にたとえるなら、松村邦洋からコロッケに変わってしまった。
拙宅にはTVがないのでラジオでのみ松村邦洋のものまね芸を聞く。実にそっくりで、笑福亭仁鶴、笑福亭鶴瓶、津川雅彦となると、本人と区別がつかないほど巧い。阿部寛、貴乃花、堺雅人も巧い。本人の風貌から離れた人のまねをするので「意外」な驚きが手伝って、聞くたびにおそれいりやの鬼子母神だ。TVではこの芸を存分に発揮する場がないようで残念しごく。
比してコロッケの芸は、オカシな顔をしてみせる、滑稽な動作をしてみせるという、ものまねとはまた違う芸風である。
コロッケを全国的に有名にした、岩崎宏美のものまね(と、なぜか呼ばれている)芸は、岩崎宏美には少しも似ていない。大勢の人が笑ったのは、コロッケがしてみせる顔、だったのであろう。
あろう、と言うくらいだから推測で、私にはおもしろさがわからなかったからであるが、人の嗜好は各々である。コロッケの芸風が好きな人はたのしめばよい。「コロッケの芸風に変わった〈顔面相似形〉」が好きな人も。
ただ私は、変わったことで、20年以上の投稿をついにやめてしまった。