男女間の友情と連帯
時々、私より少し下の世代の女性から、「ハヤシさんが、私たちが進む道を切り開いてくれました」と感謝されることがあり、とても恐縮してしまうことがあります。最近になって大学でフェミニズムを学んだ友人からも、「2年間フェミニズムをやると、あなたの名前が必ず出てくる」と教えてもらいました。
実は私自身、そうしたことにまったく意識が高い方ではありません。「あまり触らないようにしている」と言った方がいいかもしれない。「女流作家」という言葉にしても華やかな感じがして好きなのですが、今の時代はそう言うと怒られそうだから「女性作家」と言うようにしていたり……。
もともと私には「男が」「女が」という意識が希薄でした。たとえば私の世代だと就職の時にはじめて女性差別を感じた人が多かったと思います。
しかし私の場合、自分が就職出来なかったのは単に能力がないせいだと思って、女性差別という問題意識にはつながりませんでした。女の中で適当にやって、その中でちょっと目立てばいいやぐらいに考えていましたし、男、女と目くじらを立てるよりも、女であることを楽しみたかった。勉強も嫌いだったので、フェミニズム的な考えにまったく興味が向かなかったのです。
ところが、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』で世に私が出てきた時、男性たちからの叩かれ方は異常といっていいほど激烈なものでした。どうしてここまで憎まれるんだろうと理解できなかったのですが、ある時、筑紫哲也さんにこんなことを言われました。
「『あんたたち何よ!』と男性にわかりやすく歯向かってくる女性のことを、実は男性は嫌いではない。ハヤシさんは捉えどころがないから、嫌われるんじゃないの」男性と戦おうとするわけでもなく、ムキになるわけでもなく、普通にヘラヘラと接してくるし、敵か味方かワケがわからないから嫌われる、というのです。
理由はともかく、あの時代に男性から異常に嫌われていたことは、私がフェミニズム的にも戦ってきたという印象に一役買っているのかもしれません。
経験上、男性は女性をある程度のレベルまでは叩きません。叩くどころか、庇護してくれます。叩き始めるのは、その女性が思いのほか頭角をあらわしてきたり、はっきりと自分の敵となるレベルにまで達してからです。そのいじめ方は尋常ではなく、つらいですが、頭ひとつ抜きん出るとまた違った景色が見えてくるはずです。
私は若い頃、赤塚不二夫さんが小説誌でやっていた連載で、信じられないほど下品な内容の漫画を描かれて揶揄されたことがあります。今の時代なら、即炎上するような名誉毀損レベルの描かれ方をしたのですが、泣き寝入りするしかなかった。その後飲みに行った先で偶然一緒になり、赤塚さんから「あの時はごめんね」と謝罪されました。
遅れている日本でも、男の人の中にはフェアな目を持った人も増えてきています。レベルの高い男性と、いかにうまく友情と連帯関係を結んでいけるか。これからの女性の知恵の見せどころだと思います。
初対面の人の心をどうひらくか 愛は惜しみなく
キャパ越えを楽しもう 仕事をどう面白がるか
文/林真理子
写真/shutterstock