アメリカの黒人にとってのヒップホップ
極端に言ってしまえば、その頃のアメリカの体制は恐ろしいことに「黒人同士が殺しあって、死んでも別に構わない」というくらいに考えていた。白人の警察官が黒人を殴ったりするのも、当時ははっきり言って日常茶飯事だったのだ。
そこで、その時代のそういう悲惨な現実をはねのける力となったのが当時のヒップホップだった。
ラップがアメリカ中に広まったことで、それまで全米各地でバラバラに差別を受けていた黒人たちが少しずつ繫がることができた。ラップの歌詞を通してそれぞれ別々の場所にいるみんながどこでも同じ仕打ちを受けていた、ということを知ることができたのだ。
日本のラップシーンに、悲劇的なストーリーをラップするメッセージの強い歌を求めると、「自分はそこまで苦しい目にあったことはないから、そういう内容のラップをするのはおこがましい」とか、「日本では現実的に想像できない」とか「自分たちにはそこまでの資格がない」などと言って、作ろうとしない雰囲気がある。
ところが、アメリカでは黒人でも中流階級で両親も揃っていて、教育もしっかり受けられたような人が、自分たちより恵まれていなく、苦しい目にあっている他の黒人たちの窮状を代弁しようと作品にする。
これはシンパシーというよりエンパシーなのだ。
もちろん「自分の親やおじいちゃんおばあちゃんもそういう扱いを受けてきた」とか。
先祖ががんばってくれたから今のオレたちがいる」とか。
自分はたまたまこの家庭に生まれてきたからまともな教育を受けられたが、もっと劣悪な環境に生まれ、不幸なことに親も揃ってなく、適切なガイドを得られず、悪いことに手を染めるしか選択肢がなかったという者も大勢いる。そんな境遇で育つことしかできなかった同胞を気の毒に思う。そういう生き方を愚かだとは思わない。