ポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーの競演で黒人と白人の間にある溝を知ったKダブシャイン「ラップシーンにおけるエンパシーの存在が日本は希薄だ」
洗練された文学的な「韻(ライム)」表現と社会的な「詞(リリック)」の世界を表現し続ける、日本屈指の“社会派ラッパー”が、アメリカと日本のヒップホップシーンについて話した『Kダブシャインの学問のすゝめ』(星海社)より一部抜粋・再構成してお届けする。
Kダブシャインの学問のすゝめ#1
ゲットーの住人たちに示す共感
それしか方法がなかったのだろう。
そこで生きていくために悪いことをしてでもなんとか這い上がるしか他に選択肢がなかったのだと、そういうことを考え思いやる。これがエンパシーだ。
「自分はそこにいなかったから」という理由でそれを表現することから逃げてしまったら、アーティストとしては終わりじゃないかと思う。
自分自身は比較的貧乏な家だったし、両親も結婚してなかった。幼少の頃は病気がちだったから、少年時代を「オレには力がない」って思いながら過ごした。「死ぬかもしれない」「貧乏」「よその家にあるものがない」とかなりコンプレックスを持っていた。こういう背景もあったことが、アメリカに行った時にそこでの黒人差別に共感しやすかったのかもしれない。
かなりの確率でアメリカのラッパーは、ゲットーの住人たちに共感を示す。親がいなかったり、無責任でしっかりした教育を受けられなかった、という現実に対してだ。
それ以外も、若くして年上の悪い男と付き合って子供ができちゃって、自分の将来を棒に振らざるを得ない女の子が子供を食べさせるために売春することになったり、仕事が無いのでドラッグを売らなきゃならなくて危険なことに巻き込まれ、死んでしまう子がいた。「そんな無念な人生ってあるかよ!」という感情をラップしていた。
#2へつづく
#2 なぜ日本の音楽アーティストは「パワハラ」「セクハラ」「いじめ」「虐待」といった社会的メッセージの発信が少ないのか?
文/Kダブシャイン
『Kダブシャインの学問のすゝめ』(星海社)
Kダブシャイン
2023年6月21日
192ページ
¥1,485
ISBN:978-4-532626-8
洗練された文学的な「韻(ライム)」表現と社会的な「詞(リリック)」の世界を表現し続ける、日本屈指の“社会派ラッパー”が、日本の教育制度に、そして現代社会に、物申す
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自分が自分であることを誇る
そういうヤツが最後に残る
――Kダブシャイン「ラストエンペラー」より
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稀代のラッパーが提言する、個人の自立と日本の教育大国化
真実が軽視される議論の横行や広がり続ける格差と貧困など、目を背けることができない複雑な問題を抱えた日本の現状を憂うのは、30年にもわたり社会問題をラップで訴え続けてきた稀代のラッパー、Kダブシャインだ。この状況を打破する最善策は、新たな教育制度を根付かせることだと彼は主張する。十代で渡米した彼は、差別で苦しむ黒人達がラップでその苦境を打開し、世界を変える様を目撃した。その原動力は「教育」にありーーそう確信したKダブシャインは、本書に自らの経験に基づく「学問のすゝめ」を書き記した。日本が世界最高レベルの教育を提供できる国となり、新しい教育で社会が変わることを切に願う。