「この前、五頭シメちゃったよ」
イラングア・クリスチャンセンという、とても陽気で、私にも非常によくしてくれる愉快な初老の人がいる。村にはほかにイラングア・ヘンドリクセンという若手の猟師がいてまぎらわしいため、初老のほうを大イラングア、若手のほうを小イラングアと呼ぶことにするが、この大イラングア、犬を躾ける名人としても知られ、彼の犬はとにかくよく橇を引くと山崎さんから聞いていた。
実際、彼の犬を見ると身体も大きく、毛なみもよくて、じつに魅力的だ。私は、大イラングアの犬、欲しいな……と思い、犬集めの初期の段階でゆずってくれとたのんだことがある。すると彼は「アイヨ〜(なんてこった)、この前、五頭シメちゃったよ」と苦笑した。
残酷に感じるかもしれないが、これは当地の人々の典型的な答えだ。イヌイットにとって犬は愛玩動物ではなく純然たる労働犬である。家畜なので、橇引き犬として役にたたないとみなされた時点で、処分される運命にある。
大イラングアの言い分は〈使えない犬が五頭いたのでそれなら売ってやってもよかったが、この前、殺しちゃったのでお前にやる犬はない〉ということなのである。おなじことをほかの人からも何度かいわれた。
地元民は、必要なし、と判断した駄目犬しか売ってくれない。逆に手許にのこした犬は手塩にかけて育てたかけがえのない犬だ。分身みたいなものなので、懇願しても売ってくれない。カネの問題ではないのである。
犬橇をやるぞ、と息巻いて来たのはいいが、誰にお願いしても「いまは数が少ない」と断られるばかりだった。私にはもともとウヤミリック(首輪)という六年来、行動をともにしてきた相棒犬がいたので、それをふくめてまずは五頭ではじめようと目論んでいたが、のこりの四頭がなかなか見つからない。
そんななか、たった一人だけ売却に前向きな村人がいた。アーピラングア・シミガックという、これまた六十前後のベテラン猟師である。
文・撮影/角幡唯介
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