♯1【長野立てこもり4人死亡】「政憲は警官を撃った後に笑っていた」「刺された女性は瞳孔が開き硬直がはじまっていた」救助者が語る悪夢の殺害現場
♯2 新証言「クレー射撃場に通っていた」長野4人殺害・青木政憲容疑者の過保護すぎた履歴書「高校生になっても両親が送迎」70歳の母を殺害された息子の慟哭…
♯3 “一番大事なものは「命」、次に「金」”長野4人殺害・青木政憲容疑者の卒業文集の中身。クラスメイトからは「空を飛べそうな人」「社長になりそうな人」、小学生の頃は医者を夢見ていた
♯4「ぼっちとばかにされたから殺した」人質になった母は「一緒に死のう」と銃をとり…。孤独な政憲容疑者の殺害動機と緊迫の立てこもり現場。相棒の愛犬を巡り過去には警察トラブルも…
最初は母に市議選出馬の誘いが
中野市議会議長の青木正道氏(57)と同級生だった妻のA子さんが産んだ長男は、後にもうけた妹と弟に比べて「繊細」に育った。両親は中学時代、息子の部活動の応援を欠かさず、隣接する市の高校に進んでからは、車で登下校の送迎もしていたという。
大学進学で実家を離れたのち、中退して帰郷してからもずっと親元で暮らしてきた。人付き合いが苦手な農業青年に育ち、狩猟に生き甲斐を見出すようになった長男。対照的に両親は精力的な社交家で、父は政治家も兼ねるようになり、母は「マサノリ園」と名付けた果樹園やジェラート店を切り盛りした。
一家と付き合いの長い知人は言う。
「正道さんのお父さんは弁の立つ人で頭も切れたんだけど、敵も多かったそうです。大昔に市議選に出ようとしたけど村の人達に猛反対されて、仕方なく断念したんだとか。
時を経てA子さんの優秀さを買っていた知り合いの女性議員が市議選の出馬を持ちかけたんだ。その話を正道さんにしたら『それなら俺が出る』って立候補したんだね。図らずとも死んだお父さんの無念を晴らしたわけです。そんなデキる両親に囲まれて、大学から逃げてきた政憲は複雑な心境だったのかもしれないね。
飲み会のような席でも、両親とも政憲の話題をすることはほとんどなかったので細かい育て方はわかりません。でも中学時代は野球部の試合も毎回応援に行ってたし、高校は車で送り迎えしてたし、『マサノリ園』だって両親で決めた名前だろうからね。よっぽど大切にしていたはずですよ」
やり手なA子さんは学校行事でも存在感を発揮していたという。
「子どもたちの環境をよくしたいってことで、PTAでもガンガン自分の意見を発言して色々なコトに首を突っ込んでいた。少し言い方もキツい感じだったから、あの世代のお母さんたちには煙たがれていた。なかには『もし青木さんが来年PTAの役職に立候補されるなら、私は絶対にやりませんからね!』と言う女性までいたほどです」(近隣住民)
周囲から過剰に見えるほど我が子に愛情を注ぎこんだA子さんは、中野市にほど近い温泉街に魚を卸す山間の養魚場に生まれ育った。ただ、親戚や近隣住民が語るその生い立ちは、決して平坦と言えるものではなかった。主を失い、今は廃墟同然となっているA子さんの実家の近隣住民はこう証言する。
「A子ちゃんは3人姉妹で、2つ年上のお姉さんが生まれつき障害を持っていて、十年くらい前にお母さんが亡くなった時に面倒みるってA子ちゃんが連れて行ったんだ。それが、事件のときに逃げ出して無事だったという(政憲容疑者の)伯母のことだね。
ここのニジマスの養魚場はA子ちゃんのお父さんが経営して、そこにみんなで住んでたんだけど、ちょっと複雑でね。お父さんは本妻さんの他に妾が何人かいたんだ。A子ちゃんは、母違いでお兄さんにあたる人物がいてね。彼はここからちょっと下りた温泉街で暮らして、たまに実家には顔を出していたからA子ちゃんも自分の家がそういう複雑な家庭だということは当然、知っていた」