♯2「マウンド上で瞬時に相手打者の長所と短所を把握してしまう」恩師が語る、ダルビッシュが生まれながらに持っていた“投手として一番大事な能力”

バットではなくテニスラケットを振らせた

6月9日(日本時間10日)、パドレスのダルビッシュ有(36)はロッキーズ戦に先発。6回途中、被安打5、4失点で今季5勝目を挙げ、03年の野茂英雄以来、日本人投手では2人目となるメジャー通算100勝を達成した。

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日本人投手としては2人目となるメジャー通算100勝を達成したダルビッシュ(写真/共同通信社)
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2012年のメジャー移籍後、足かけ12年、4球団を渡り歩いて達成した快挙に目を細めるのが、中学時代の恩師である「羽曳野ボーイズ」の山田朝生会長(75)だ。これまで36年にもおよぶ指導者生活の中で750人以上の選手を指導してきた山田会長。その目に、今のダルビッシュはどのように映っているのか。話を聞いた。

――ダルビッシュ選手といえば、練習熱心、研究熱心として知られています。その姿はまさに野球の虫。しかし、「羽曳野ボーイズ」時代のダルビッシュ投手は野球嫌い、練習嫌いで、山田会長を困らせていたそうですね。

山田(以下同) あの子が「羽曳野ボーイズ」に入団してきたのは中学入学直後のことでしたが、決して熱心な選手とは言えなかった。もっと言えば、野球が嫌い、練習が嫌い。野球センスもイマイチで、取り柄といえば、他の子と比べて背が高くて体がでかいくらい。それだけの選手でした。

中学生といえば、他の同級生と遊びたい盛りです。しかも当時のダルビッシュはお父さんの影響もあってサッカーやアイスホッケーなどのスポーツもやっていたから、余計に野球だけに打ち込む中学生活が嫌だったんでしょう。それでも練習に出てきたのは、サボると私からビンタを食らうのが怖かったからでしょう(笑)。

――当時、何か、特別な指導をしたんですか?

それはありません。上手い選手だろうが、下手な選手だろうが、みんな同じ練習メニューを平等にこなすというのが「羽曳野ボーイズ」の方針ですから。だから、選手たちには「うまくなりたければ自分で考え、工夫して練習しろ」と口を酸っぱくして教えてきました。

練習でうまくいかなかったプレーがあれば、なぜうまくできなかったのか、どうしたらうまくこなせるのか、自分で考えて次の練習にそれを活かす。その積み重ねでしか、選手はうまくなりませんから。ただ、ダルビッシュにはテニスラケットをひたすら振らせる練習メニューを与えました。