寛一郎は自分の力で主役までの場所まで来た(阪本)
──私が寛一郎さんに初めてお会いしたのは、佐藤浩市さんが俳優30周年のパーティーを開かれた時、まだ中学生だったかとおもいますが、監督は小さいときから見守り続けて、初めて役者をやりたいと聞かれた時はどう感じられましたか?
阪本 俺が赤ん坊の寛一郎を抱っこしている写真も残っているし、寛ちゃんが赤ん坊の時のおしゃぶりを俺がくわえている写真もあるよ。そういう意味では長い付き合いなんだけど。10代の寛一郎から役者になりたいという話を聞いた覚えはありますけど、それで僕が何かお手伝いをしたわけではなく、彼は自分の力でここまで来ているからね。まあ、父親だけでなく、祖父の分の合わせての七光りだから、7 × 7で49光りくらいあるからしんどいやろな。でも、できますって思ったけどね。
寛一郎 阪本監督の『一度も撃ってません』に出た時のことは緊張していてもうあんまり覚えてない。3年前、短編で初めて監督とコミュニケーションが取れた気はしますよ。それは嬉しかった。1つのものを作る上で そうやって話し合えることっていうのは今までなかったです。すごいいい時間だった。
阪本 オリジナルの時代劇をやることとか、今回のサーキュラーバイオエコロジーという題材に手を付ける事とか、僕にとっても初めてのことで、寛一郎にとっても初めての題材で、その意味で、僕だけが先に知っている、先に慣れている、親しんでいるという題材ではなかったから、割とフェアな感じで、2人とも知らなかったことに取り組んでいるという感じだったよね。
大御所のスタッフのプロフェッショナルな中でのびのびとやらせていただきました(寛一郎)
──私は長雨で矢亮と中次が運搬の舟を出すことが出来ず、おきくの長屋の厠があふれてしまい、長屋の住民たちが大家さんになんとかするように詰め寄る場面を見学しましたが、撮影が順調で、どんどん進んでいくので、佐藤浩市さんが午後から撮影開始予定の池松さんと寛一郎さんをもう早い段階から呼ぼうよとスタッフに嬉しそうに声掛けされているのを見たのですが、この段取りの良い演出風景を若いお二人に見せたいんだなとも思いました。
阪本 僕は自分の求めるものはちゃんと妥協なく撮っているんだけど、美術の原田をはじめ、撮影の笠松通則、録音技師の志満順一さん、照明の杉本崇さんとメインスタッフの平均年齢が60いくつかで、それぞれの手練手管というか経験値で無駄なく、現場が進んでいくというスピードだったと思う。
寛一郎 同じ世代の役者には、僕が体験したような幸せな時間に巡り合ってほしいと思います。今回の作品は本当に大御所の人たちが集まっていて、僕ぐらいの年齢だとなかなか組めない人の方が多いんじゃないかって。あと数年したらみんな死んじゃうじゃないですか(笑)。
阪本 おいおい、そんなに早く殺すなよ(笑)。
寛一郎 昭和のスタッフの中に入れるというのは幸せです。すごいプロフェッショナルを感じながら、のびのびとやらせていただきました。