階級差によって見えている世界も違う。この映画は時代の変化を描いている(寛一郎)

幕末×恋愛×ウンコの異種格闘技が冴える異色の時代劇。『せかいのおきく』を阪本順治監督と寛一郎さんにきく_12
不幸な出来事に見舞われ、おきくは声を失ってしまうが……。

──ただ、武家の娘の枠から外れたことで、前半のおきくは精神的にはある種の枠から解き放たれた自由さも持っているようにみえます。屁とか糞とか平気でいえるようになったっておきくが啖呵を切る場面がありますが、あれも卑下するというよりも、そういう下世話な話題を長屋の住民たちと分け隔てなく言いあえるようになった強さに見えます。

寛一郎さん演じる中次と池松さん演じる矢亮は状況としては偏見を持たれるポジションにいますが、精神的には神代辰巳監督の『アフリカの光』の萩原健一さんと田中邦衛さんの二人のコンビがいつかアフリカに行きたいと夢を持って暮らしているような姿と重なり合うところがあって、日本映画の青春映画の系譜にある作品だなと感じました。


阪本 おきく、中次、矢亮、まあ、くじけない3人でありますよね。

寛一郎 階級差があればあるほど、それぞれ背負うものもありますよね。父親も言っていましたけど、脚本のなかに時代の流れが確実にあって、中次に関しては、彼の見ている視点がどんどん広くなっていく。中次は最初、今を生きることに精一杯で、社会のことなんて気にしていない。というか、わかってない。

でも、半径5メートル内であっても、時代の変化と生きること。階級だけでなく、見えている景色の差もこの映画は描いていると思います。中次はおきく父娘と違って自由なんだけど、自由過ぎるのはやっぱきつい。その分、お金もないですしね。

──下肥買いの職業を演技を通して体験して見ていかがでしたか。京都での撮影現場に行かせていただきましたが、食品ロスのものを発酵して排泄物は作ったと聞きましたが。

寛一郎 そこまで臭いものじゃないですし、江戸時代の実際の汚穢屋の人たちと比べたら、臭いとも言えないほどだと思います。ただ、発酵物ですからちゃんと臭いがあったので、少しながらも体験はできたとは思います。

阪本 今の人たちはもう、みんな水洗トイレに慣れているからね。ぼくらの子供の時代はまだぼっとんトイレはあちこちにあったし、汲み取り業者がホースで取りに来ていて、汚物まみれのホースを触っている人の様子を見ているから僕ら世代には経験値がありますよね。あと、海外のいろんな国でロケに行って撮影すると、行政の手が回らず、場所によっては江戸時代と変わらないようなトイレに遭遇することもあります。

ウンコの売買を巡り、ビジネスの形態も変わっていった(阪本)

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排泄物を一滴も無駄にせず、直に手ですくう矢亮の貪欲さに、 弟子になりたての中次は唖然とする。

──劇中、矢亮がひとすくいも無駄にしないと、手ですくって桶に入れる場面があって、演技なんですけど、矢亮が本当に偉いと思いました。

阪本 それもね、資料にあったんですよ。要するに目方で売買するから。舟いっぱいに回収できればいいんだけど、うんこも値段が日々変わっていくんです。というのも下肥買いが金になるってわかると、いわゆる仲買業者が生まれるんです。元々農村から百姓が直接、江戸の町屋に汲み取りに来てたのを、仲介業者が間に入ることで、手数料をビンはねしたりするから、値段が上がったりする。寺院も、これは儲けになると、参拝者目当ての公衆トイレが街道筋に出来て、それを売ることによって収入を得ていた。映画の中で、街道筋を矢亮が桶を持って歩くのはそういうことで、だから本当にビジネスですよね。

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矢亮と中次のバディものとしても魅力的な本作。 演じる池松壮亮さんと寛一郎さんの醸す雰囲気がさく裂する場面。

登場人物たちの世代別の描写の違いがしっくりきた(寛一郎)

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阪本順治監督が「初めてじゃないかな」という初々しい恋心あふれる場面! 「せかいのおきく」は阪本作品には珍しい恋愛映画。

──阪本監督は短編の脚本を書いていた時から、寛一郎さんを中次役でと念頭に置いていたのですか?

阪本
 企画の段階で原田と僕でいろんなことを決めていった時に、もう黒木華さんと寛一郎の二人でやると決めて、スケジュールを聞きつつ当て書きしました。これだけ若い俳優さんたちが主人公で、監督をさせてもらうことは滅多にない。今まで、男2人のバディものとか、伊藤健太郎の『冬薔薇』みたいに誰ともまぐえない主人公の話はあるけど、こういうトライアングルで、バディもありというのは初めてで。そこで、恋心を抜きにしては、もう描けないなと。

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時折、汚穢(おわい)屋への偏見や、理不尽な扱いが出てきて、
江戸時代の階級社会の厳しさを肌身で感じることとなる。
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寛一郎 3人の話ですけど、3人で一緒にいるのはファーストシーンとラストだけで、あとは(池松)壮亮さんとのバディ。そこはもう言わずもがな、いい心地いい空気感を壮亮さんが作っていて、監督の脚本のキャラクターの配分も素晴らしかったと思います。

で、僕、ひとつ監督に質問があるのですが、今回、キャラクター設定がちゃんとあったじゃないですか。中次は当て書きしてくださったということですが、世代別でキャラクター造形に工夫されているように感じて。というのも、中次は僕より下の世代で、生きることへの執着が薄い印象を受けるんです。

『せかいのおきく』では石橋蓮司さん参じる孫七にしても、親父が演じる武家の松村源兵衛にしても、バイタリティがある人たちで、中次より少し上の矢亮は講談師になって、金持ちになりたいという漠然とした夢があって、それぞれ中次とは明らかな区分を感じるというか。その違いが、僕個人にはすごくしっくりきたんですけど、その区分は計算されて書かれた違いなんですか?

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排泄物の値段は、貧乏長屋と武家屋敷では違ったといい、 資料によると特に高く買われていたのは大奥のものだったそう!

阪本 そうだね。矢亮はセリフだけ見ると、言葉は強いが、心が弱い。その逆があなたの演じた中次だったりする。表に見せる様相と腹の中にあるものが矢亮と中次とでは真逆で、その方が面白い。自分で、役を当て書きをして書いているから、こういうことも思いつくんだと思う。

あと、浩市くんと蓮司さんは長編になるんだったら、この映画に参加してほしいと思うし、蓮司さんならこの長屋からどういなくなってもらおうとか、そういうことは考えるよね。

僕は俳優さんの普段の様子から受けとった印象を脚本に利用させてもらうことが多い。彼ら、彼女たちから受けるものをそのまま出すこともあれば、ひっくり返すときもある。素の姿を知っていると、当て書きすれば、自然と生まれてくるものはあります。そして、蓮司さんにはいつもあえて、台詞は喋りにくく、長く書くようにしている(笑)。

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木桶などの修理をする「たが屋」の孫七さんを演じるのは石橋蓮司さん。 寛一郎さんは阪本順治監督作、石橋さん主演作『一度も撃ってません!』に続き、共演を。

寛一郎 蓮司さんは今回もセリフが多いですよね。中次が寡黙というのもあるから、すごく対比が目立ちます。

阪本 でもどれだけ多く書いても、「長いね」って言いながら覚えるんだけどね。僕がプロの脚本家になれないのは、この人とやりたいっていう動機を念頭に置かないとシナリオが書けないからなんだ。

寛一郎 僕は脚本を読んだとき、どこか冷めている中次に自分との共通点を感じました。先ほど言った世代で見るとわかりやすい。人生に対する夢や希望を口にする孫七さんや源兵衛と違って、中次はそういうことも言わずに吞み込んでしまう。それは僕の世代に共通する傾向じゃないかなと思います。