市長は5年前「断じてミサイル基地ではない」と演説して当選
彼らの親の世代は、65年前に嘉手納基地に生活の場を奪われ、琉球政府計画移民としてこの場所に移動してきた。水も道路もない、岩だらけの厳しい土地を開墾し、水を引き、畑を切り拓き、先人たちは生き抜いてきた。於茂登、開南、嵩田、川原、これらの集落はそうした先人たちの血のにじむ苦労の積み重ねの末、今ではパインやマンゴーの実る豊かな耕作地帯となり、石垣の農業を支えている。
そんな場所に再び、地域住民への説明も合意もないまま自衛隊基地が作られた。環境への影響が公表されるかどうかも不明瞭だが、水源地である場所を47ヘクタール(東京ドーム約10個分)も切り拓き基地を作ったのだ。環境や生態系への影響がない方が不思議である。土地に根を張り生きてきた農家にとって、土地を汚され奪われる、その怒りや無念さは計り知れないものだ。
駆けつけたある島民男性は苛立ちを隠さずに言う。
「なんで今になってマスメディアがこんなに来るのだろう。たくさんの問題が起こってる時も来なかったメディアたちが、なぜ完成した今になって来るのだろう」
空には何台も何台もヘリコプターが飛び交い、駐屯地を空撮していた。これらのヘリが飛ぶべきだったのは、環境アセスを逃れて着工した時だったはずだし、住民投票を市議会が否決した時だったはずだ。
今日飛んでいるヘリは、自衛隊駐屯地開設おめでとうと祝っているようだったが、マスメディアの仕事とは果たしてそれでいいのだろうか。
人数が減っても抗議の声を上げる市民たちを見つめながら、私は無力感にさいなまれた。いくつもの理不尽や民主主義を破壊するような行為を目のあたりにしながら、それらは日本社会に問われることなく、森は切り拓かれ基地は建設された。私自身も取材者の立場として打ちのめされていた。
人々の顔に焦燥感が漂う。住民たちはメディアからの取材に疲れ果てていた。何度も何度も同じ話を繰り返し質問され、ため息をつく住民たちにマイクを向けることは私にはできなかった。
それとは対照的に市街地の観光客たちは何も知らなかった。何も知らされていないことに憤る人々と、何も知らされていないことすら知らない人々、この絶望的な対比を私は眺めていた。
この日の石垣市議会で野党議員から市長へ、敵基地攻撃能力を持つミサイルが将来的に配備される可能性についての質問が飛んだ。しかし中山市長はのらりくらりと「現時点では答えることができない」と繰り返し、ゼロ回答だった。議会制民主主義の崩壊は、中央の国会から、今や地方議会までに及んでしまったと感じた。
彼は2018年の市長選の際「防衛省が石垣に計画しているのは自衛隊駐屯地です。そこは断じてミサイル基地ではありません。ミサイル基地というのは直接、他の国の国土に攻撃できるものがミサイル基地です。もし石垣島への自衛隊基地がミサイル基地だったら、私は反対します。ミサイル基地は絶対許さん」そう演説して当選した人物である。
そもそも彼のミサイル基地の定義が欺瞞的な解釈であることに気づく。今回、石垣駐屯地に配備されるミサイルは12式地対艦誘導弾で、射程は200km前後。他国には届かないが石垣から166kmの尖閣諸島には届くものだ。中国側が尖閣を自国の領土と認識していることを踏まえると、このロジックは危うくなる。
また、昨年の安保3文書改定により、政府は専守防衛の原則から転換、石垣島へ敵基地攻撃能力を有するミサイル配備の懸念も高まっている。もし今後この配備が行われた場合、中山市長は深刻な公約違反となってしまう。
ちなみにこの自衛隊駐屯地の地権者である友寄市議への防衛省からの予算(土地取得費用)の流れは、いまだに非公開のままだ。