<3月にミサイル基地開設>「政府は沖縄を再び戦場にするのか?」自衛隊配備の現場を行く〜石垣島編はこちら
自衛隊配備が3月に迫る石垣島から飛行機で35分。日本最西端の島、与那国島へ飛ぶ。定員50人のプロペラ機は観光バスをひと回り大きくしたような外観で、心細さと旅の浪漫をかき立てる。
離陸するとすぐに窓から西表島の雄大な自然が見える。それをうっとりと眺める時間が過ぎると、激しく荒れ狂う海が広がる。絶海とはこのことだろう。俗世から切り離されて、異界へと放り出されるような感覚に眩暈がする。しばらく飛ぶと機体が激しく揺れる。
荒々しい雲の切れ目に、まるで幻のように与那国島の横顔が見えた。険しく切り立った断崖に囲まれ、人間を拒むような厳しさを感じさせる。機内アナウンスが一度目の着陸の失敗を告げる。半時間ほど空中を旋回した後、再度着陸を試みるが、「これに失敗したら石垣空港に引き返す」との乗務員のアナウンスがある。祈るような気分だ。窓の外の荒れ狂う海を眺めながら、「渡難」(どぅなん)と呼ばれてきたこの島の歴史を想う。渡り難き島と呼ばれてきた孤島は、21世紀になり文明が発達した今もその面影を残している。
到着時刻をだいぶオーバーして、どうにか揺れながら着陸できたが、この島に私が来ることを望まれていないような不思議な気配は、その後もずっと続くことになる。
晴れの日には台湾が目視できる国境の島、与那国。人口約1700人。台湾からは110km、石垣島からは127km。台湾の方が近いことに驚く。周囲27km、自動車であれば1時間足らずで一周できる。町役場のある祖納、日本最西端の漁港の久部良、南部の比川の3つの集落がある。
映画化もされたドラマ「Dr.コトー診療所」のロケ地としても知られている絶景の島。島の東南には海底地形(遺跡)もあり、これが人工物か否かにはいまだに議論がある。もし仮に人工物だった場合、日本史、いや世界史を大きく揺るがす存在とも言われているが、真相は謎のままだ。なぜか島内にハブが生息していなかったり、この島には不思議なことが多い。
ミーニシ(新北風)と呼ばれる季節風の吹く秋から冬にかけては、ハンマーヘッドシャークの群れを見るためのダイバーが詰めかける。私もいくつかの宿に泊まったが、宿泊客のほとんどがダイバーと自衛隊の工事関係者で埋まる。観光客は1割にも満たないので島内に10軒ほどある民宿は予約が取れない状態だが、集落で観光客に出会うことはほとんどなかった。
自衛隊関係者が人口の15%! 事実上、国がやりたい放題できる島
2015年、自衛隊レーダー基地配備に関する住民投票が行われ、結果は賛成632票、反対445票で賛成が上回り、2016年に自衛隊与那国駐屯地が開局。沿岸監視部隊などが置かれ、160名の自衛隊員とその関係者の計250名が島へ移住し住民の15%を占めた。
この住民投票は、すでに基地建設工事着工後の実施だったため、すでに不可逆なムードの中の投票だったとある住民が話してくれた。さらに、住民投票一週間前の産経新聞を引用しよう。
“何を根拠にしているか定かではないが、こんな横断幕も掲げられていた。
「自衛隊基地ができたら米軍もやって来る!」
反対派議員の一人も産経新聞の取材に同じような主張をしたため、その根拠を聞いたが、まったく要領を得なかった。中略 「反辺野古」の勢いを陸自配備の住民投票に引き込みたいがために、何の根拠もなく米軍が展開してくる可能性があると主張しているのであれば、町民に理性ある判断を仰ぐ姿勢とは程遠い。邪の極みといっても過言ではあるまい。”(産経新聞2015/2/15)
昨年、2022年12月。自衛隊と米軍の共同訓練が開始され、公道を戦闘車両が通行。与那国島に米軍が来たのだ。住民投票から7年。産経新聞の論調を信じていた人々の気持ちは裏切られた。今になってみれば「町民に理性ある判断を仰ぐ姿勢とは程遠い。邪の極み。」とまでメディアに批判された反対住民の主張が、実は正しかったことになる。
そして昨年12月26日、防衛省は与那国島への地対空誘導弾部隊、電子戦部隊の配備計画を発表。2023年度予算に土地取得費用を盛り込んだ。政府が決定した防衛費倍増の具体的な結果がすぐさま反映された形だ。
これにより駐屯地は拡張され、駐留する隊員も大幅に増える見込みだが、もちろん住民との合意は成されていない。まして現時点ですでに1700人の人口の15%を自衛隊関係者が占めていることにより、防衛省の意に反する選挙や住民投票での意思表示もままならない状況がある。
「(自衛隊関係者の駐留により)事実上、国がやりたい放題できる島になってしまいました。住民の自治が機能しない状態を作られたのです。」自衛隊配備に反対していたある島民男性は暗い表情で語った。
与那国島に着いて初めの夜、私はひどい胸騒ぎを覚えた。それはこの島を取り囲む強すぎる自然のバイブスや、集落の中まで轟いてくる海鳴りへの畏怖だけではなく、なにやら得体の知れない不安感だった。闇の向こうから何かが私を監視しているような嫌な感覚。それは2020年にBLM(Black Lives Matter)の取材で米国、シアトルの自治区を訪れたある夜の違和感を想起させた。その不穏な夜、私は深夜に2発の銃声を聞き、翌日、BLMの自治区で2名の黒人少年が銃殺されたことを知った。あの夜の嫌な雰囲気と与那国の夜の空気はなぜかとても似ていた。
外は嵐、轟音で海風が吹き抜ける。殺風景な飯場のような民宿の一室で、震えるような気持ちで照明を付けたまま眠った。
翌朝、目覚めると、民宿の玄関にあった私のナイキのスニーカーが消えていた。まったく釈然としない事態に直面し、私は混乱した。私は集落の雰囲気に気圧されて警察に被害届を出すことを躊躇った。その時、この島には警官が2名しかいないことに気づいた。現在は警官2名に対して自衛官150人の島である。とても奇妙なバランスだ。
困り果てて石垣島の友人に連絡すると、御守りの作り方を教わった。米と塩を混ぜてそれを常に携帯すること、少しでも嫌な気配を感じたらその塩を舐めること。こうして与那国島取材は不吉なスタートとなった。結局、この島に滞在中、私はこの塩をフリスクぐらいの頻度で口にすることになる。