コロナ禍で創業以来最大のピンチ

BOXING CLUBの会員数は第1号店オープン時、毎月50人ずつのペースで増えていった。

伸び幅は徐々に落ちたものの、2011年までずっと右肩上がりで増加したという。ピンとこないかもしれないが、他のボクシングジムが会員100人以上を維持するのに苦労する中、これは異例といっていい。2011年からはほぼ毎年のように支店も増やした。

しかし、コロナ禍で2020年4月を境に会員数は急減。一気に3割ほどの会員が退会した。

「1日で80人、90人とやめる方がいるときもありました。協会から脱退したのも、ジムの経営基盤を建て直す必要があったからです。当時6名のプロ選手がいましたが、大変申し訳ないことをしました。移籍先のジムは自分で選んでもらって、それぞれ私も挨拶に行きました。ただそのときは、チャンピオンを育てる夢を諦める悲しさとか感じる余裕もないくらい『一人でも解雇してたまるか』と経営再建に必死でした」

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コロナ禍で外出控えの対策として、同じBOXING CLUBなら会員アプリでどの店舗でも練習できるようにした

とはいえ、1点どうしても気がかりなことがあった。プロ選手を担当していたトレーナーのモチベーション低下だった。

「元日本王者のプロ担当トレーナーがいるのですが、協会脱退を伝えるときはモチベーションが低下するのではと心配でした。彼は全力で選手を支えてくれていたので。でも、彼は『わかりました』とただ一言、その場で静かに聞き入れてくれたんです。他のスタッフもコロナ禍を乗り越えるために頑張ってくれて、本当に感謝しています」

その後、何とかコロナ禍のダメージから再建できたが、完全には戻っていない。

「ジム経営は固定費が大きいので、店舗を拡大すればするほどすぐに赤字になりかねない。だから余裕はいつもないですよ。でも、自分はいつも恐怖や不安をエネルギーに変えて生きてきて、現役中も試合でダウンしたあとにどうするかということを起点に練習していたんです。ジム経営も最悪のことから逆算して、入居契約時に退去時の原状回復費用の見積りを取って不安を取り除いているくらいなので。

今は次のビジネスチャンスに向かっています。またやってやるぞという感じです。創業当時から今まで支えてくださった会員様、また現在も尽力してくれているスタッフに対しては本当に感謝しかないです」

「感謝している」という言葉は口に出すだけでは軽い。しかし今岡氏の場合、例えば2003年のオープン時に家賃の値切りに応じてくれたオーナーには、その後自ら申し出て賃料上げをお願いした。さらに創業から14年後に建て替えにともなう退去の要請がオーナーからあった時は、一般的には店子が受け取る慣習の立ち退き料も一切受け取らなかったという。

「最初の値切りがなければ創業すらできなかったですから。周囲からは『どうしてそんなことするの?』と呆れられましたよ。でも現役時代の恩師だった齋田会長からは『不義理をするな』と日頃から教わっていましたので」

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左から創業時のトレーナーである斉藤一人さん、第1号店のビルオーナーの小寺正夫さん、小寺さんを紹介いただいた笠原正文さん、今岡会長。