吉行さんが考える「変態文学」とは?
──吉行さんが考える「変態文学の定義」について教えてください。
私は昔の書籍や漫画が好きなのですが、昔の作品はエロス(性)とタナトス(死)のどちらもある話がすごく多いです。ですが、今の作品はホラーならタナトスの部分だけや、変態モノならあっけらかんとした性行為があるだけなど、すごく単純なものが多いような気がします。
私が変態文学に求めるものはエロスとタナトスの併存ですね。作中に性と死の感覚や匂いが存在するものは、文学性が担保されていると思いますね。逆にどちらかが欠けていると作品としては微妙で、私の考える変態文学としての定義からは外れるのかなと思っています。ただ、なかには性癖だからオススメしている作品もありますけどね(笑)
──エロスとタナトスは表裏一体ですものね。吉行さんはどのように変態文学を読まれるのですか?
実はツッコミながら読んでいます(笑)。私はある意味で普通の人の感覚があるので、「さすがに変態すぎるでしょ!」「これはエロすぎるって!」などと言いながら作品を読んでいます。このように読んでいる理由としては、堅苦しいイメージのある文豪から滲み出る変態性を見れば「文学=高尚なもの」というイメージにとらわれず、もっと親しみやすくなると思っているからです。
大文豪というと畏れ多い気がしますよね。ですが変態な部分をツッコみながら読むと、どの作家も人間味が溢れているように感じて途端に愛おしくなります。『かいけつゾロリ』のように、真面目なものを不真面目に語るのって面白いじゃないですか。小学生のころからみんな大好きなゾロリには人生の真理が詰まっていると思います。
逆に、エロ漫画は文学的な要素を感じるものを選んでいます。こちらは文学とは逆に「不真面目なものを真面目に読む」ということをしています。ただ、あまりにも私と近い年齢のキャラクターが男性の妄想でこねくり回されているのは腹が立ってくるので、自分と遠く離れた存在の「ロリ系」を好んで読んでいます。
また、元々の性癖だった「リョナ系」(拷問系・暴力系)も好きです。小さい頃に覚えたティンカーベルの羽をむしりたいというところに近いかもしれません。実際にむしるシーンはないのですが、妄想でむしっていました。彼女が鳥籠に閉じこめられるシーンが今も大好きです(笑)。