“選択と集中”の功罪

江上 他に新しいと思ったのは、第3章の「困窮の罪」で指摘している「選択と集中」に関しての見解。これは正しいと思いました。「選択と集中」はGE(ゼネラル・エレクトリック)のCEOだったジャック・ウェルチさんの本がベストセラーになって、80年代から90年代にかけて日本でも注目を集めました。特定の事業分野に経営資源を集める戦略である「選択と集中」が困窮の原因になったと言っているのも目からウロコでしたよ。

 “選択”からはじかれる事業を私はずっとやっていたので、「選択と集中」と言われるたびに、「こういう事業がせっかくあるのだから、簡単に切り捨てないで、もう少し成長する道をみんなで考えようよ。切るのはいつでもできるのだから」くらいに思っていました。

「選択と集中」には効果がある部分もあるでしょうが、一方で副作用もたくさんあった。この10年、20年は、あまりいい結果は出ていないんじゃないでしょうか。

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桂 幹…1961年、大阪府生まれ。86年、同志社大学卒業後、TDK入社。98年、TDKの米国子会社に出向し、2002年、同社副社長に就任。08年、事業撤退により出向解除。TDKに帰任後退職。同年イメーション社に転職、11年、日本法人の常務取締役に就任も、16年、事業撤退により退職。今回が初の書籍執筆となる。

江上 例えば、「選択と集中」を実践した当時の東芝の社長を、アナリストやマスコミが名経営者ともてはやしたわけです。その後、アメリカの原発を買って失敗した。これは原発事故のせいではなく、戦略上の間違いだった。「選択と集中」の前に、そもそもミッションとかビジョンが明確ではなかった。

 いろいろ調べてみても、イノベーションというのは、なにかキッチリしたプランがあって、それに基づいてやっていて起こったかというと、必ずしもそうではない。隅っこの方で何やらやっていたことが花開くことがある。人間ですから、先のことは分からない。なにが起こるか分からないから、あまり絞り込んでしまうと、花が咲くものも摘み取ってしまう可能性がある。それはもったいないんじゃないかと思いますね。

江上 かといって、限りある資源を小出しにしておいて分散化しておくわけにもいかない。どうやって整理したらいいんでしょうね。

 私も研究開発をやっていた人間ではないのでハッキリとは言えませんが、父が経営者として言っていたのは、「研究開発をマネジメントするのが一番難しい」と。自分はわからないので、現場から、「これは絶対いるんです」と言われれば、それを否定はできない。かといって野放図にしていたらコストばかり膨らんでしまう。研究開発で何をやるべきか、いくらかけるべきか、というところが難しかったと父は言っていました。私も正直「選択と集中」は良くないんじゃないかと思ってはいたものの、じゃあどうするの?といった答えはなかったですね。