震災をエンタメというジャンルで描くことの意味
土居 象徴的なシーンがやっぱり福島のシーンですよね。震災の当事者であるすずめとそうではない芹澤っていう2人がいて、同じ福島の双葉町の景色を見ている。同じ景色を見ていても、見てるものがちがうんですよね。見てるレイヤーがちがう。
北村 その双葉町の芹澤とのシーンが一番といっていいぐらい心に刺さりました。ぼくは2011年にちょうどアメリカに留学していて。家族は東京にいたんです。だから、もちろん震災の影響は受けてたんですけど、肌感覚としては全然わからなくて。
そういう意味でぼくは震災の当事者じゃないんですよ。当事者ではないんだけど、そのシーンで泣いてしまうんです。じゃあ、この涙っていったい何を意味してるんだろうって。
土居 今回の作品はまさに、「同じ作品を見てるけどそれぞれの人が見てるレイヤーがちがう」という構造をかなり意識的にやっている。
そういったレイヤーなんてまったく気にしないファミリー向けのムービーでもあるし、震災の表象でもあるし。海外から見たら日本的なものを入れたファンタジーでもある。相当クレバーに作り込まれている。
そういった戦略を取れる人はいま本当に新海誠しかいないので、その辺りがすごいなって思います。
北村 個人作家でありながら巨大な資本を得ていろいろ戦略を練られる、独特な立ち位置かもしれないですね。
「すずめはイーロン・マスクだった?」 新海誠『すずめの戸締まり』から考える、いま世界に必要なフィクションとは はこちら