これで『ガンダム』が終わるーーやっと終わったのだ

映画を作っている人間は、大きく分けて2種類の人種にだいたい分類できます。「一度決めたルールは絶対に守る。ルールをはみ出した表現はたとえそれがどんな魅力的であっても修正すべきである」 というルールブック遵守型。一方に、「表現は自由に飛躍すべきであり、そのために損なわれた整合性は飛躍にともなう快感の前には意味をなさない」という快楽至上主義者。

どちらも正解であり、どちらかだけでもダメだと思うのですが、この対立する両極をいかにうまく取り入れるかがむずかしいのです。私はあの多感な時期に、『ガンダム』劇場版の“新作カットたちの多少のつながりの悪さなんか気にしないぜヒャッハー!”という衝撃をモロに浴びたせいで、整合性に対する厳格さに欠ける傾向があるような気がします。もう直らないのであきらめてますが。

受験の前日に『ガンダム』小説版3作目が発売されるという試練を乗り越え、無事に受験が終わり、高校に進学する春休みに第1作が公開された劇場版3部作においては、1作ごとに新作カットの数が増えていくし、渡辺岳夫、松山祐士両氏による音楽も大編成になった新規録音となり、新作を見るような新鮮さに痺れまくりました。

「つながりの悪さなんて気にしないぜヒャッハー!」多感な時期の樋口真嗣の感性を形作った、富野喜幸(現・由悠季)監督の凄まじい仕事量とスピード【『機動戦士ガンダム』劇場版3部作編】_3
『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編』のララァ・スン
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しかも音楽に新たに参加したのが武市昌久さんと久石譲さんでした。武市さんは当時隆盛を誇っていたシーケンサーで、ミニマルなループをベースにしたシンセサウンドを主体に、久石さんは『風の谷のナウシカ』(1984)で宮崎駿作品に参加し、その才能がブレイクする前夜の胎動のような趣のスコアを、1981年夏に公開された2作目『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』で提供しています。この音楽が、テレビシリーズから格段に進化した映画としての新しさを象徴し牽引していく、シンボルのような存在でした。

そして2作目の公開から8か月という、それまでのハイペースと比較すると長い製作期間を経て、1982年3月に完結編である『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編』が公開されます。8か月のブランクはダテではなかったのです。冒頭、低軌道上で迎撃する、元シャアの副官ドレン率いるキャメル艦隊を瞬殺するガンダムに始まり、その新作カットのつるべうち…単なるカット単位の修正だけではありません。カット割りに始まる演出面のアップデートがとんでもないのです。

テレビの時間的予算的制約でかけられていた枷が一気に解放されて、誰も見たことない宇宙を舞台にしたモビルスーツ戦——そしてヒロインのひとときの休息という日常描写を、繊細で美しいアニメーションで表現する。脳内補完を必要としない最高の作画密度で、単なるテレビの再編集ではない、誰も見たことのない新作の『ガンダム』が現れ、当時みんなが望む形で願いが叶い、アニメ映画が進化したことを実感した最後の幸福なひとときだったのです。 これで『ガンダム』が終わる——やっと終わったのだ。

数年後には続編が現れて、消費のサイクルに組み込まれていくのですが。

『機動戦士ガンダム』劇場版3部作
テレビ版全43話を3部に分け、新作カットを追加したうえで、『機動戦士ガンダム』(1981)『同Ⅱ 哀・戦士編』(1981)『同Ⅲ めぐりあい宇宙(そら)編』(1982)として劇場公開、大ヒットを記録した。特に『Ⅲ』は新たに作画された部分が多かった。「アムロは俺だ」と叫んだ樋口少年14歳はその後、映像制作の道を志してGAINAXの創設にかかわり、その名は『新世紀エヴァンゲリオン』でアムロと同じく父親がらみでロボットを操縦することになる繊細で異能の主人公・碇シンジ14歳へと投影されていく。