人の感情や思考のなかで、もっとも警戒すべきは「完璧」という感覚
いただいた文面の一節〈お互いの家庭を壊さないように〉というフレーズが、私には特に気になりました。ただひとつ、不倫という行為を除けば、あなたの家庭が「完璧である」という自信が滲んでいるような印象を受けたのです。
ひょっとすると、そうしたあなたの「自信」が〈心の隙間〉を生み出しているのかもしれません。〈家庭では埋まらない〉のではなく、あなたが家庭に慢心し、甘え切ってしまっているからこそ生じる、ちょっとした隙間。
人の感情や思考のなかで、もっとも警戒すべきは「完璧」という感覚です。
千日回峰行を「満行」して、私は大行満大阿闍梨となりましたが、回峰行をやりとげたとは考えておりません。なぜなら千日回峰行の7年目、すなわち「最後の百日」は、じつは75日しかないからです。
頂戴した大阿闍梨の称号は、光永圓道が只今この瞬間に「完璧な大阿闍梨」であることを示しているのではなく、怠らず努めよとの戒めでしょう。私はこの「足りない25日」を、一生をかけて行じていかねばなりません。
あなたはおっしゃいます。育児がひと段落し、仕事も順調であると。
申し訳ありませんが、その言葉を額面通りには受け取れません。あなたの育児にはまだまだ改善すべき点が見つかるはずですし、もっと大きなスケールの仕事に挑戦する機会も転がっていると思うのです。
それから、もうひとつ。
〈妻への裏切り〉としての〈罪悪感〉もまた、あなたの甘えの証しです。あなたは、今でもまだ、ご自身が妻に愛されていると感じており、同時にご自身も妻を満足させていると疑っておられない。自分だけが密かに、一方的に妻を裏切り、妻からは裏切られていないと信じ切っていらっしゃるように見えます。
けれど、あなたが他の女性を抱擁しつつ妻を愛せるなら、あなたの妻にも同じ振舞いができて不思議はありません。はたしてあなたは、あなたと同じように振舞う妻を愛し続けられるでしょうか。