「168cmの中学生」田臥勇太の目撃者たちが絶句…“練習会で起きた事件”を能代工メンバーが証言 はこちら

「眠れる逸材」若月徹の中学時代

高校バスケの名門・能代工で田臥勇太ら「5人中3人が1年生」。当時監督・加藤三彦が明かす“レギュラーから上級生を外した”意図_1
左から田臥勇太、菊地勇樹、若月徹。能代工時代の海外遠征にて
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「あ、CMのやつだ。やっぱすげぇな」

能代工の練習会に参加した若月徹は、“ピラニア軍団”と呼ばれる守備のスペシャリストをいとも容易く抜き去る、進研ゼミのCMに出演した有名人・田臥勇太の華麗なドリブルに見とれていた。

「一番印象に残っているのがドリブルの巧さでしたね。手にボールが吸い付いてるような感じで、先輩のディフェンスをスイスイ抜いてたし、しかもスピードがあって。『他のやつらと全然違うな、CMに出るだけあるな』って思いながら見てました」

高校バスケの名門・能代工で田臥勇太ら「5人中3人が1年生」。当時監督・加藤三彦が明かす“レギュラーから上級生を外した”意図_2
田臥と同学年で活躍した若月徹さん。現在は秋田市内の会社に勤める

中学時代の若月には、全国大会でベスト5となった大道中(神奈川)の田臥や、MVPを獲得した洛西中(京都)の前田浩行のような実績はなかった。

知る人ぞ知る逸材。それが、若月というプレーヤーだった。秋田県出身で1年生からメンバーに入る1学年上の小嶋信哉は、彼の潜在能力の高さを知っていたひとりだ。

「『強いチームがある』って、初めて県外に遠征した試合で2年生の若月がいて。あれだけ身長の高い中学生ってなかなかいなかったし、ディフェンスもうまくて、シュートフォームもきれいでしたよね」

若月は山形県寒河江市の出身で、陵東中時代から186センチもある大型センターだった。

守備に比重のあるポジションながら、ゴール下でリバウンドを制すとそのまま敵陣まで切り込みシュートを決める、チームの大黒柱。

当時の山形は年ごとに選出されるエリアが決まっていたため、選抜チームで日本一を争うジュニアオールスターには出場できず、全国の舞台も経験できなかった。それでも、若月が試合でインパクトを残していたことは、「中学MVP」の前田の言葉からもわかる。

「交流試合みたいなところで若月の中学とやったことがあったんですよ。サイズがあるのにディフェンスもオフェンスも、なんでもできるって印象がありました」