菊地はなぜ能代工を選んだか

中学3年時の全国大会にも出場した菊地は、センターを守りながら相手の隙を見つけてはシュートを放った。ジャンプ力がないと自覚していた菊地は、後方に飛びながらシュートを打つフェイダウェイを得意としており、ベスト16とチームも実績を残した。

そのプレースタイルが通用しないと思い知らされた場所が能代工だった。ジュニアオールスターの合宿、参加した練習会でも先輩にことごとくブロックされる。菊地はセンターとしての限界を悟った。

「自分のフェイダウェイって、中学の時は止められたことがなかったんですよ。『これはもう、センターは無理だな』って」

高校バスケの名門・能代工で田臥勇太ら「5人中3人が1年生」。当時監督・加藤三彦が明かす“レギュラーから上級生を外した”意図_3
田臥と同学年で活躍した菊地勇樹さん。現在はBリーグ・秋田ノーザンハピネッツでU-18コーチを務める

菊地の心情とは裏腹に、大型選手への勧誘のほとんどが「センターとして来てほしい」だった。田臥、若月と同様に能代工へ進もうとは考えておらず、「他の高校で能代工を倒したい」とすら思っていたほどだ。

なかでも福井県の強豪、北陸が菊地の獲得に熱心だったという。菊地が中学3年の1995年、同校のOBで、いすゞ自動車の選手としてJBLでMVPに輝いた佐古賢一から直接、電話で誘われたほどだった。

気持ちが傾きかけていた菊地が、一転、能代工への進学を決意した理由。それは、監督である加藤三彦のプランが響いたからだ。

「これが、菊地君が3年生になった時に僕が考える理想のスタメンなんだ」

ガードに田臥がいて、センターには若月がいる。菊地に記されていたポジションはスモールフォワード。シューターだった。

菊地の目が、瞬時に輝いた。

「ずっとセンターだったのに、『え? そこをやらせてもらえるの!?』って。ジュニアオールスターの合宿で三彦先生の目に留まったのかはわかりませんけど、挑戦したくなりましたよね。能代工業は強い高校だし、試合に出られるかどうかは別としても、『ここで経験することは、バスケットを続けていく上で大事かもしれないな』って」

田臥、若月、菊地。本来ならばすれ違っていたはずの素質が、能代工という名の人間交差点で交わった。それは天の配剤などではなく、結びつけた仕掛け人は能代工を指揮する加藤だったのだ。