事件を通してみえたものとは…
関口被告は事件直後少年2人に対し「本当ごめんな、巻き込んじゃって。お前ら知らんって言えよ。全て俺のせいだから」と伝えたという。その姿を見た少年C・Dは、「のぼるさん(関口被告のストリートネーム)って、男気あってかっこいいなと思った」と証言している。
「それを聞き、テレビや漫画などを見ているような感じで、その暴行を見ていたんだろうなと感じました。いわば解離状態ともいうのでしょうか。現実を現実として捉えることができず、どこか夢のようにリアリティがない状態で、目の前で起きている凄惨な出来事を見ている…。
でも、それももしかしたら仕方ないのかもしれません。学校にも家にも居場所がなく、路上に集まってきた子どもたちです。家に暴力があり、貧困があり、心を深く傷つける言葉があり、それらを逃れるようにして生きてきたのですから。
つまり、あそこにいる子どもたちは、長い間、夢なのか現実なのかよくわからない状況に居続けているのでしょう。それも当然です。なぜなら、現実をしっかり見つめてしまったら、しんどくて生きていけませんから。
つまり、あの“トー横”という場所で、子どもたちは集団解離状態に陥っているとでも表現したいのかもしれません」
徳丸さんが事件を通して見えてきたのは、被害者も加害者も、社会の吹き溜まりのようにあの場所に集まっていたということ。そして、社会から見放された結果、事件が起きてしまったということだった。
「以前、家出をした後、グリ下(大阪・ミナミ)に集っていた14歳の少女と関わったときに、彼女がこんなことを言っていました。『自分が悪いからここにいるしかないんだよね』『家にいたら親にも先生にも迷惑かけるから』と。
いじめを受けたり、虐待されたりした結果、子どもたちは路上に行き着きます。そして、学校や地域という社会に居場所を作れなかったのは、自分の責任だと自らを責めているのです。
2000年以降、自己責任が叫ばれるようになり、今や子どもたちにまで自己責任という概念が染みわたっています。子どもたちにまで『自己責任』を押し付けた結果、あの事件が生まれてしまったように思えてならないのです」