「あの場所に子どもたちが居続けることは危険だ」と思っていた

徳丸さんが事件を知ったのは翌朝のニュース番組だった。

「広場の子ども達の様子、区役所通りを走っていったパトカーや救急車がフラッシュバックしました。彰さんとは21年の夏頃に知り合い、子どもたちのために何かをしたいということで、私たちの炊き出しを手伝ってもらったり、子どもたちのことで相談し合ったり、私が歌舞伎町に行った時には必ず話をする間柄でした。
彰さん自身も様々な問題を抱え、一線は引いていましたが、子どもたちをサポートしたいという思いは同じという一点でつながっていました。ダメなところも多くあるおっちゃんなんだけど、情にもろくて、子どもたちに何かしてあげられることをすごく喜んでいたんです」。

徳丸さん(左)と氏家さん
徳丸さん(左)と氏家さん

亡くなる1ヶ月前には、ハロウィンの炊き出しを行い、氏家さんは笑顔でお菓子を子どもたちに配っていたという。かたや、加害者側の少年たちはどのような姿を見せていたのだろうか。

「関口被告については、 積極的な関わりは持っていませんでした。歌舞伎町には様々な支援団体が関わっていて、その中の1つである歌舞伎町卍會で活動していたこともあると聞いていますが 、半グレとの関わりがあるなどの話もあり、支援者という立場なので距離を置いていたのです。
2020年の秋口からは、トー横キッズと言われる子たちだけでなく、特攻服を着る子たちを見かけるようになりました。その中に今回の加害者の子たちもいて、炊き出しの時にも、私がその子らにも食事を渡そうとしていると、彰さんから『あいつらには渡さなくていいですよ!』と言われ、理由を聞くと『あいつらは半グレとつながってるし、女の子たちを騙してお金引っぱったり、暴力をふるったりしているんだ』とそれまでにない口調で批判していました」

2021年夏は、トー横が最も盛り上がっていた時期だと徳丸さんは話す。
最初は子どもがたむろするだけだった空間に、いつしか大人も出入りするようになり、ドラッグや詐欺、パパ活などの犯罪の手が入り込むようになってきていた。

「あの場所に子どもたちが居続けることは危険だ」そう徳丸さんは感じながらも、決定的な解決法を見出せなかった日々の中で、事件は起きてしまった。