地元・広島で過ごした10代のころの葛藤

――10月24日に発売したファースト写真集『素直』。布団にくるまった表紙のゆうたろうさんを見て、今までとは違う印象を受けました。

「THEイメージ通り!」のカットもあったのですが、これまでとは違う“素”の自分を見ていただきたかったので布団にくるまったカットをチョイスしました。本屋さんに並んだ時に、僕のことを知らない人が「誰だろう、この人…?」と思って、手に取ってくれたらいいなと思ったんです。

「このままだと沈む…」かわいすぎるショップ店員から6年。俳優としてのオファーが絶えないゆうたろうの転機_01
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――撮影はゆうたろうさんの地元・広島でも行なわれたそうですね。

やはり自分自身のエピソードがつく場所の方が、テーマも設定しやすいし、イメージしやすいかなと。いい思い出はもちろん、思い出したくないこともある場所なので、感慨深かったですね。

――中学卒業後、大阪でショップ店員として働き始めたゆうたろうさんにとって、広島で過ごしたのは中学生のころまで。中学生のころは、学校に行かなくなっていたそうですね。

人見知りなのもあるし、友だち付き合いもめんどうだしで、学校に行く意味が見出せなくなっちゃったんです。それぞれがキャラを決められて、それに応えるように演じたりする学生ならではのノリも、あまり得意じゃなく……。
そんなことを考えていたら、遅刻癖がついて、いつの間にか行かなくなっていました。気を使われると、かえってプレッシャーを感じちゃいましたしね。

「このままだと沈む…」かわいすぎるショップ店員から6年。俳優としてのオファーが絶えないゆうたろうの転機_02

――中学を卒業後は進学せず、すぐに働き始めました。なぜだったのでしょう?

中学を卒業するタイミングで「家があって、ご飯も食べさせてもらえる。甘えられる環境に身を置いたまま、どうなりたいんだ」という現実に気づいてしまいました。それで「このままじゃまずい! 早く自立したい」という気持ちが先走り、タウンワークにある求人に片っ端から電話をかけ、家の近くの洋食屋さんで、ホールとして働きました。

――その後、大阪で一人暮らしをしながら、ショップ店員として働き始めたわけですが、単身で大阪に渡ることへの不安はありませんでしたか?

若いがゆえ、現実として重く受け止めてなかったというのが本音です。家族に話した時は、心配はされましたけど、不登校やひきこもっていた時期に比べれば、自分の進む道を選んで決めたことがうれしかったようで「まずは挑戦しておいで」と背中を押してくれました。否定せず、そう言ってくれたことに、すごく救われたのを覚えています。

――人見知りなゆうたろうさんにとって、ショップ店員は大変だったのではないかとも想像します。

最初はお客さまに声をかけられないし、見よう見まねで使った関西弁は下手くそだし、トークスキルもないし……と、さんざんでした。当時は、お店の服をコーディネートして、SNSにアップする仕事をしているときが1番楽しかったですね(笑)。ただ、2ヶ月ぐらい経って、常連さんが徐々に覚えてくれたり、SNSをフォローしてくれたりしてからは「怖くないんだ」と思えて、どんどん楽しくなっていきました。

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