サラリーマンになったことも、
ベストチョイスだった

――画業30周年おめでとうございます。まずは甲斐谷先生が職業としてマンガ家を意識しはじめた頃の話をお聞かせください。

小学2年の時に、友人宅でお兄さん所有の『がきデカ』(山上たつひこ)を読んで、「こういうのを生業に出来たらいいな」と思ったのが最初です。
同じぐらいの時期に、知り合いからコミックスを段ボール2箱分ぐらい貰って、ハマったのが、ちばてつや先生の『ハリスの旋風』と小山ゆう先生の『おれは直角』。
このお二方の存在は、あとあと自分の進路に影響を及ぼしてきます。

――それからマンガ家への道を一直線に?

マンガはずっと読んでいましたが、現実的にマンガ家になるのは難しいと分かってきて、小学5年の頃はアナウンサーになりたいと思っていました。そっちのほうがよっぽど難しいんですけどね(笑)。
コンピュータというものが世に出始めた中学生の頃は、プログラマーになりたいと思っていましたし、中学3年生の頃は友達とバンドを組んで、ミュージシャンになりたいとも思っていました。

――その後、地元の鹿児島大学工学部に進み、製紙会社に就職なさって。在職中にマンガ雑誌への投稿を始められたそうですね。

めちゃくちゃ居心地のいい会社でしたが、僕自身に変化がないことへの耐性がなくて。
「製紙メーカーだと多分30年後も紙を作っているんだよな」と考えた時に、モチベーションを保ち続けられるかどうか自信がなくなったんです。

――画業30周年を迎えたいま、その頃の自分に声をかけてあげられるとしたら何と言ってあげたいですか?

サラリーマンになったことも、その後の選択も、結構ベストチョイスだった気がします。ですから、余計なことを言って乱したくないかな。