〝察する〟よりも確実なこと
大吉:「男性にわかってもらおう」という意図なんだとは思いますが、生理の痛みを「男性の身体に置き換えると、こんなことをされたときの痛み」というたとえをよく見ますが……高尾先生はどう思いますか?
ぼくは、痛みの共有は究極のところ無理だと思うんですよ。安易なたとえは、むしろ乱暴な気がします。
高尾:おっしゃるとおりです。痛みを正確に知らなければ何もできない、ということもありませんしね。
大吉:ぼくは「どんなふうに痛いのか」もですが、それ以上に「いま何をしてほしいと思っているのか」ってことを知りたいんですよ。
高尾:生理だからといって、特別な会話をしようと思わなくていいんです。
もしパートナーの食欲が何日も落ちていたら「一度病院に行ってみたらどう?」 と声をかけますよね。〝食欲不振のつらさを自分は体験したことがないから声をかけられない〟という発想にはならない。
大吉:たしかに、自分が経験したことがなくても、相手の様子がおかしければそれなりの声はかけますよね。生理のことになった途端に、悪い意味で意識してしまうところがあるのかもしれない。
高尾:生理であろうがなかろうが、普通の会話を心掛けたいですね。
高尾:アンケートを見ると、女性は生理でつらいとき相手に「察してほしい」と思っていて、男性は女性に対して「察したい」と思っているんですね。心身がしんどいときに理路整然と説明することはむずかしいと考えると、女性が「察してほしい」となるのもわかります。でも男性はどこまで「察する」ことができるのか……大吉さんどう思いますか?
大吉:う~ん、少なくとも付き合いが浅い相手に対してはむずかしいでしょうね。
高尾:たしかに、お互いどれぐらい自己開示できているかにもよりますよね。付き合いたてでも「私、生理のときは調子が悪くなる」「怒りっぽくなる」という前提を女性から伝えていれば、デートの日に生理になったと聞かされれば男性も察して、「じゃあ、にぎやかなところにいくのはやめて、家でゆっくりしようか?」と言えるでしょうし。
結局のところ、こうしてほしいという理想を暗に求めるよりも、どうしてほしいかをはっきり言い合える関係になるほうが早い気がします。
大吉:マニュアルがあるわけじゃないし、同じ相手でも先月と今月とで求めるものが違うかもしれない。となると、言葉にして伝えるほうが確実だと思うんです。〝わかってほしい合戦〟になっちゃうのは、ちょっと不毛かな。