日本人はなぜか歌謡曲のメロディを捨てられないー中森明菜再始動宣言・マーティがその魅力を読み解く_03
真剣に明菜さんの曲を聴くマーティ。プロかつ外国人視点からの意見は、日本人には目から鱗の意見も!

令和に通用する明菜ソングNo.1は『サザン・ウインド』

――ベストアルバムをフルで聴いた印象を教えてください。

『スローモーション』(1982年リリース。以下、曲名の後の年号はリリース年)は隣のお姉ちゃんが歌っているようで、アイドルらしい当時の歌謡曲だね。男は歌が上手すぎると癒やされません。セリーヌ・ディオンやビヨンセに全く癒やされないじゃん(笑)。『少女A』(1982年)もそう。癒やし系の声。でも、『セカンド・ラブ』(1982年)は違いますね。

――全て同年リリースの曲ですが、具体的にどう変わったんでしょうか?

溜めながら、演歌歌手みたいにビートより遅く歌っていますね。当時のアイドルは歌がヘタウマだったり、実際に下手な人も多かったじゃん? そうすると子供(若い子)は遅くするセンスがないから急いじゃうんです。ところが彼女は曲をコントロールしているから、どのアイドルより上手です。このサウンドに癒やされて喜ぶファンが多かったと思います。

――分かりやすいのは、どの曲でしょう?

例えば『1/2の神話』(1983年)です。僕の昔の歌謡曲のイメージはこの抑えめでクールな歌い方。これ以降、彼女みたいに歌う歌手が多く出たんじゃない?

――以降の曲の印象を教えてください。

『禁区』(1983年)はフルボイスで強く歌ってます。「歌謡曲とは?」と聞かれたら、「これ!」と言いたくなるお手本みたいな曲(笑)。『飾りじゃないのよ涙は』(1984年)は、幼い部分がなくなった声に大人を感じます。『ミ・アモーレ』(1985年)になると、歌い方がおばちゃんぽいですね。

――まだ19歳ですよ(笑)。ただ、歌い方の変化は、リアルタイム世代は意外と気づいてないかもしれません。

彼女自身が曲によってどういう歌い方がふさわしいかを考えて、曲に合わせて歌い方を変えてますね。そのセンスに加えて、当時のディレクターやプロデューサーも彼女の良さをうまく引き出していたと思います。

――強く印象に残った曲はありますか?

『サザン・ウインド』(1984年)は、ボーカルだけを取り出して、今の時代の楽器の音、音色の伴奏をつけたら、普通に今の時代の曲になります。

――この曲から『TATTOO』(1988年)まで、16曲連続オリコンシングルチャート1位を獲得しました。全盛期を象徴する一曲です。

そうでしたか。これは、リミックスがすぐできそうですね。この前までの曲と比べて、歌謡曲的な色が薄いですから。それと、ひとつ、とても好きな曲ができました!