一方で歴史の資料という意味では皇室に関係する資料もあります。
「戦前から戦中」のものを展示した7階から「戦後」の6階へ下りる階段の踊り場に「昭和20年8月15日」の表示があります。ボタンを押すと約7分半、昭和天皇が読み上げた「大東亜戦争終結ニ関スル詔書」の音声が流れます。ラジオを通じて国民に終戦を告げた、玉音放送を録音したレコード「玉音盤」です。戦後70年の節目に宮内庁が初めて公開したもので、複製をもとにした従来の音声よりも昭和天皇の肉声を感じることができると思います。
原盤は宮内庁が皇室の「御物(ぎょぶつ)」として金庫で保管していた。なにげないレコード盤1枚にも、昭和の秘史が詰まっている。この原盤を巡る事件が、1945年8月14日の深夜から翌朝に起きた「宮城事件」だ。戦争継続を求める一部の陸軍将校や近衛師団参謀がクーデターを謀り、皇居(宮城)や放送会館を占拠し、原盤を奪おうとした。しかし徳川義寛侍従長は玉音盤の在りかを隠し通し、反乱軍は15日朝に鎮圧。玉音放送はその日の正午にラジオを通じて全国民に流された。
玉音盤の音声は、終戦と戦後の始まりを示す歴史資料として、戦時中と戦後の双方の境界線に置きました。過去の歴史との向き合い方は、見る人の数だけあります。戦後77年のこの夏に、たくさんの戦争関連施設に足を運んでみてください。
◆昭和館に関連する施設
「しょうけい館」 戦傷病者と家族の労苦。戦地の野戦病院を再現したジオラマも展示
「平和祈念展示資料館」 兵士、強制抑留者、引揚者の苦労
(取材・文/廣瀬和子)
「犠牲になるのはいつも庶民」。上皇に11年間仕えた“モノ言う元長官”の語る戦後史
戦争を体験した世代の多くが亡くなり、その記憶は風化しようとしている。軍人でも政治家でもない、一般の人びとが戦前・戦中・戦後にどのような暮らしをしていたのか。そうした資料を展示し、広く伝える役目を担うのが、千代田区の九段下駅前にある昭和館だ。館長の羽毛田信吾氏は、宮内庁長官として長く平成の天皇に仕え、大物政治家相手に一歩も引かない気骨の持ち主として知られた。その彼が若い世代が戦争という歴史を学ぶ意味について語った。
貴重な玉音盤が聞ける
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