「自分が見たいモノ」=「皆が見たいモノ」

皆口氏が手がけた映像を観て、そして彼と直接対話して強く感じるのは、自分が観たいと欲するコンテンツを明確にイメージすること、そしてそれを具現化するためのリソース調達の鬼だということだ。自分自身で理想の映像を撮ることはできないが、自分の理想の映像を誰が撮れるかは何故か過剰に知っている––––といったような。しかし、自分が理想とするコンテンツを作れても、それは「自分の理想」ゆえ、むしろ単なる自己満足に終わる公算のほうが大きい。

皆口氏の真の凄さは実はこの点にあり、彼の場合、今のところ「自分が観たいモノ」=「皆が観たいモノ」という図式が完全に成立している。これぞ、彼が持つ異能の核心と言えるだろう。というか、そもそもプロデューサーという存在は、皆口氏のような知的機能を以て関係者を導くのが本来の姿だったのではないか?という気もしなくはない。そして通例、そこに生じるどうしようもない現実的欠落を埋め、「皆が観たいモノ」のアイディアコンセプトを吸収するために人はマーケティング思考や技法を使うわけで、ここでかなりの熱量が失われてしまう。

では、なぜ皆口氏はそのような(主観的にどう感じているかはわからないが、少なくとも傍目には)幸せなクリエイティング道を歩めているのか。理由は色々あるだろうが、たとえば彼自身が発した「今まで色々とやってきたが、いまだに『作る側』にいる実感があまりない」という言葉はかなり重要だ。有体に言えば、「クリエイター気取り」の対極にいる才人の、ひとつの有効な在り方を示すものだからだ。

そしてもうひとつ、その鑑識眼と審美眼の深さ・鋭さにも、彼の凄味を感じる。これは生来の資質かもしれないが、たとえば「ゾゾゾ」が大ブレイクする前の皆口氏のTwitterアカウントは、得体の知れないマイナー映画の紹介と寸評で埋め尽くされている。見ようによっては異様な情景だが、これ自体がアート的な景色ともいえるだろう。

これらのレビューには少なくとも「誰かに見せる」ためのものではない“不断の悦楽的執念”があったのは明白で、それが現在の彼の鑑識眼&審美眼豊かなオンリーワンぶりにつながっているのは言うまでもない。

ちなみに、インタビュー時に絶賛していた「ミッドサマー」のレビューが5点満点で3.9点だったのも面白い。数値だけが精神の滋養ではない、ということだろうか。一方、新海誠監督の「天気の子」は4.5点だった。

これらの作品を通して誰もが皆口氏のような知的悦楽を得られるわけではないが、さまざまな角度からそのエッセンスを参考にするのは可能と思われる。今後も引き続き彼の動向をチェックしたい。

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文・インタビュー/マライ・メントライン 撮影/黒田彰