視聴者による怒涛の考察
––––「フェイクドキュメンタリー『Q』」というタイトルは、実録モノを装うにしてはあまりに挑発的なものですよね。このタイトルを採用したのはなぜですか?
実は公開直前まで、タイトルは「Q」の一文字にする予定だったんです。たぶん「Question」の「Q」とかで納得いただけると思うのですが、実際にはもっと直観的なネーミングです。「ゾゾゾ」と同じように、非論理的であくまで感覚重視というか(笑) 。
でも、タイトルが「Q」の文字だけだと、視聴者が動画を検索するときに探しにくい。そこで、まず「プログラム『Q』」というタイトルに変えようとしたのですが、ハタと思いついて、「フェイクドキュメンタリー『Q』」という案を出したんです。タイトルと併せたときの逆説的なインパクトで、視聴する皆さんの感性を刺激したい。あともうひとつ、フェイクという前提を置けば、実はなんでもありになる。極論を言えば、敢えてホンモノを紛れ込ませるという技も可能になります。なので、これはもう採用するしかありませんでした。
––––「Q」は全12話で構成されていますが、各話の制作順と公開順は一致しているのでしょうか?
実は最初に制作したのは第9話「玄関先に置かれる献花の謎」です。当初、制作順と公開順を一致させる予定だったんですが、公開前に先ほどのタイトル変更事案が発生してしまい…。そうなると、第1話「封印されたフェイクドキュメンタリー」を初回に持ってきた方がコンセプト宣言としてもベターだね、ということで公開の順番を変えたんです。あれは、フェイクドキュメンタリーと広言されている映像が誰かの死をもたらした「かもしれない」話ですから。
でも、公開の順番として一番重要だったのは、実は第2話「深夜の不気味な留守番電話」で。映像演出的に、あの回はあまりに地味すぎるんですよ。でも、観る者の神経を確実に削っていく。ある意味「Q」のコンセプトの精髄を示す作品です。あのストロングスタイルは賭けでしたが、自分としても早期に観客層の好みを確認しておきたかった。正直、第2話が受け入れられるかどうかに全12話の成否がかかっていると覚悟していたので、反響が良くて本当に嬉しかったですね。
––––公開後の反響などを見て、皆口さん的に事前予測が当たった点と予想外だった点、それぞれについて教えてください。
まず予測どおりというか、ハズさなくてよかった点は「コアなホラー愛好者の方々のツボを突けたのかな」という手応えを得たことです。でも、あれほどの作品を作っておきながら、寺内監督は公開前にすごく不安がっていたんですよ。その意味でも、ハズせなかった(笑) 。
逆に予想外というか見抜けなかったのは、「Q」のようなドキュメンタリー/モキュメンタリー的ホラーを愛好する方々がコンテンツを探す際の優先順位として、YouTubeは意外と下位にあるという点です。情報のプール先として、YouTubeが実はNetflixやAmazonプライム・ビデオに対してかなり劣勢であることが自分的に明確になりました。だから、届けるべきお客さんのチェック対象に「Q」がそもそも入っていなかったのは、状況として少し残念でしたね。YouTubeには心霊・実話怪談トーク番組がいっぱいあるので、傍目には「Q」も同様に、環境的に有利なコンテンツだろうと思われがちですが、実は違うのだと。これに関しては、一朝一夕にはどうしようもできない話ではあるのですが。
あと、「フェイクドキュメンタリー『Q』」というタイトルの意味も含め、視聴者による深読み考察が怒涛の勢いで展開されたことですね。あそこまでの熱量で打ち返されるとは!というのが率直な印象です。
––––深読み考察といえば、「Q」の各話それぞれに関連性はあるのか、全体を結ぶ大きなシナリオがあるのか、という点に大きな関心が寄せられていますね。
その点に関しては、絶対に明かしません。「墓場まで持っていく」とチームで決めています。というのも、関連性の有無だけでなく、すべての解釈について1%も否定したくないんです。実際、こちらの想定を凌駕する素晴らしい考察が寄せられることもあって、そういうのを見ると、「作品は見られることで完成する」という言葉の真実性を実感せずにいられません。
––––なるほど。あと「Q」を語る際に不可欠なのが、映像に登場する人物たちの圧倒的な「自然っぽさ」です。それゆえ「フェイクドキュメンタリーというタイトルこそフェイクなのでは?」という凝った憶測も生じているわけですが。あのリアルさは、役者さんの演技に任せた結果なのか、それとも細部までこだわり抜いた「鬼の演技指導」があったのでしょうか?
役者さんってすごいんですよ。正確に言えば、寺内監督のキャスティングセンスと演技指導の的確さ、そして役者さんの適応力の高さの賜物というほかないですね。もし見た印象が「演技っぽいな」と感じたら、視聴者が「現実」に引き戻されてしまう恐れがあるので。
––––第1話「封印されたフェイクドキュメンタリー」で登場したVHSビデオデッキや第7話「オレンジロビンソンの奇妙なブログ」の旧型Macなど、その時代の風味を醸し出すための小道具が各シーンでエッセンスとして効いているなと感じるのですが、ああいうブツの調達ってけっこう大変じゃないですか?
大変です。でも寺内監督が、執念でどこからか持って来るんですよね。実際、似たようなものでいくらでも誤魔化せると思うんですが、寺内監督は絶対そういう安直な方法は採りません。場面の時代設定に合致した小道具でないとダメという。しかしそのポリシーによって、作品が纏うオーラがより良質なものになっているのは確実です。