もはや「善戦」はいらない

例えば2006年のドイツワールドカップ、2014年のブラジルワールドカップで、日本はグループリーグ初戦で終盤までリードしながら、敵の選手交代で呆気なく流れを失い、引きずり込まれるように選手交代で生じた流れにずるずると飲み込まれ、あえなく逆転を許した。

結果、最終戦は複数得点以上で強豪ブラジル、コロンビアに勝利することが必要になった。追い込まれた日本は意地を見せた。ブラジル、コロンビアを相手に先制に成功し、一時はゴールに沸き立った。しかし、その後は反撃に出た相手に立て続けにゴールを決められ、大敗したのである。

これを「善戦」と呼び続けるのか。

実はガンバ戦のパリも失点後、すぐに反撃に出ている。失点の責任の一端を負うヌーノ・メンデスが、それを払しょくするように攻め上がり、裏で絶好のパスを受け、左足を振り切ってゴールネットを揺らした。一瞬で借りを返したのだ。

その後、ガンバは失点を重ねながら、もう1点返した。最後まで高いラインを保った戦いで、後半は大差で厭戦気分になったパリに一矢報いている。その反撃姿勢は素晴らしかったが、勝機はほんの少しもなかった。

「後半は守備の課題も出た。あれだけ決定機を与えてはいけない。もっと激しいプレーができるチームにならないといけないし、やるべきことは山積みだ」

パリの将、クリストフ・ガルティエ監督はそう言って、課題に向き合っていた。

日本サッカーも、厳しく現実を受け止めるべきだろう。90分間の中での勝負の駆け引き=マリーシアをどこまで追求できるか。カタールW杯で「善戦」はいらない。

取材・文/小宮良之 写真/Getty Images