凝りをほぐす「小説」
鴻池 僕、結構、松波さんの作風って、自分と似ているなって思っていて。
松波 私の小説のやり方は、身体に置き換えると「凝り固まってるものをどんどん緩めていく方法」。文学はガチガチ、でも小説はゆるゆるで、堅苦しいものをゆるゆるの方に持ってくる。鴻池さんの場合は、メールのやり取りをしてもわかるけど、すごい文章的な運動神経の良さが元々ある人だと感じていて。
良く動く身体だから、本来は緩んでいるわけです。そういう人は、凝り固まることに対する、憧れが出てくるんですよね。堅苦しいものになろうとしている。
鴻池 するとつまり、僕はガチガチの「文学」になりたがっているということか(笑)!
松波 そう。私の場合は「文学」っていう「動かないもの」に対する憧れが出発点でしたね。そこから今では、「緩んでいこう」っていう指向にシフトしているんだけど。鴻池さん今、30何歳?
鴻池 35ですね。
松波 なんか鴻池さんって、「永遠の思春期」みたいな感じがする。
鴻池 恥ずかしい(笑)。三十路ぶっこいたおっさんなのに。でもわかります。
松波 鴻池さんは、常に思春期で、小説家として「背が伸びる」ことをちょっと恥ずかしがっている。元々ゆるゆるなんだけど、それを自分自身、良しとしてないから、ガチガチの方へ向かう。純文学っていう重荷を背負うみたいな。だからナルシシズムが捻くれている。
鴻池 確かに、へそ曲がりなんです、僕は。じゃあ、不躾な質問で恐縮ですが、松波さんから見て、作家としての僕に、どういったアドバイスがありますか? 小説家の目線から、僕はもっとこうすればいいのにみたいな。
松波 文芸誌が、鴻池さんとは相性があんまりよくないんじゃないかな。紙だけで閉じている人では元々ない。窮屈そうに見えますね。「紙とペンさえあれば何でもできる」っていうのが、小説の自由なところですよね。
でもこの自由さに、意外と作家は後からしっぺ返しを喰らうんですよ。それはやがて「ペンしか使ったら駄目」っていう束縛になっていくから。鴻池さんの作品を見ていると、どんどん進化してきている。動きも出てきていて、ペンによってだけじゃなく、メディアそのものをいじっていく方向に進んでいくんじゃないのかな。私は今回の対談も、鴻池さんの作品の1 つのあり様なのかな? っていう風には思っています。