生徒たちを全面的に肯定するのは危険

このケースでは、「閉鎖的な学校および部活内で起きている暴力問題を外部の力を借りて状況を改善したい」という部員による必死のSOSが、結果的には世間に伝わりましたが、私は少し複雑な気持ちになります。

なぜなら、ほんのちょっとしたきっかけやタイミング次第で、告発者自身が誹謗中傷を受けていた可能性だってある【理由①】からです(たとえばの話ですが、告発者の過去の非行が見つかったりすると、一気に掌を返されるかもしれません)。

今回の事件は、ネット民が「コーチや監督を悪と認定したから」部員や投稿者への被害が大きくならなかっただけの話ということです。ポイントは「ネット民は決して部員 や被害生徒に対して同情したり、助けてあげようと思ったりした」わけではないということ。その理由は、著書『もしキミが、人を傷つけたなら、傷つけられたなら』に詳しく書いていますので、読んでいただけると幸いです。

多くのコメントを読んでいくと、部員や被害生徒は、悪の大人の象徴たるコーチや監督を叩くことを正当化する理由にしかならなかったことがわかります。そして今回、さらに残念なことに、本来子どもの盾となって彼らを守らないといけない大人たちが、子どもたちだけ顔と名前を出して謝罪する動画を投稿させました。SNSでの告発をきっかけにこのような見せしめを受けてしまったわけです。

一度ネットに公開されてしまった情報は、簡単には消せません。【理由②】

もしかしたら今回の件がデジタルタトゥー(インターネット上に半永久的に残ってしまう自身にとってネガティブな情報)となって、彼らの人生に暗い影を落とすかもしれません。