大変な毎日だったが、それでも彼女がくらいついていけたのは、大きな自信となるものが得られたからだ。

「私は自分の感情が顔に出てしまうタイプで、それがコンプレックスだったんです。でも自分で演技を学ぶ中で、感情を表に出して良いという別の世界があることを知って嬉しかった」

映画の撮影風景(ご本人からの写真提供)
映画の撮影風景(ご本人からの写真提供)

クランクインは20年10月。しかしコロナ感染の拡大に伴うベトナムの厳しい社会隔離などにより撮影は困難を極め、公開は当初予定より1年以上延期された。

撮影の中で10回以上も監督からダメだしを受けたシーンもある。

「チン・コン・ソンが私の絵を描いているときに、私が羽織りものを脱いで肩を大きく見せ、ソンをセクシーに誘うシーンがあったんです。でも男性をセクシーに誘うなんて経験もなくて、おかしくて吹き出してしまってNGに。ベトナム女性はセクシーでカッコよく見せることが魅力的だと考えていますが、日本人女性はしとやかさやかわいらしさで男性にアピールするでしょう? 日越の文化の違いも感じました」

彼女の熱演の甲斐なく、予告編ではこのシーンが使用されたものの、本編ではカットされてしまったそうだ。

映画の撮影シーンのひとコマ(ご本人からの写真提供)
映画の撮影シーンのひとコマ(ご本人からの写真提供)

「プレミア公開ではじめて私自身も映画本編を通してみることができました。映画の感想を述べられるほど客観的になれなくて、自らの演技を見て、ああすればよかった、こうすればよかったと反省することばかりですね」

YouTuberから映画女優へ

日本に住む両親もまだ映画を見ていない。

「父は映画に1回でたぐらいでつけあがるなといいますが、母は自分の娘が自慢なのか心から応援してくれています。大学時代の友人などはまず私が映画に出演すると話したら、『あの怠け者が映画に出演!』と爆笑されました」

中谷さんがそもそもベトナムにかかわったのは、大学時代にルームシェアしていたベトナム人の友人の一時帰国に合わせて、2013年にベトナムを訪れたのがきっかけ。そこからベトナムにハマり、ベトナム語の勉強を始め、大学卒業後の2016年にホーチミン市トンドゥックタン大学に留学、友人の実家に居候して生活を始めた。

自らの人生の記録と、日本とベトナムとをつなぐコンテンツを発信し、そしてちょっとお小遣いを稼げたらとの思いからYouTubeチャンネルを開始した。それから6年。彼女はベトナムの大ヒット映画のヒロインのひとりとなった。

現在のホーチミン市。コロナ禍においても東南アジアで屈指の経済成長率を誇る(撮影:新妻東一)
現在のホーチミン市。コロナ禍においても東南アジアで屈指の経済成長率を誇る(撮影:新妻東一)

これからの将来の夢は、ベトナムの大学院に2年間通ってより深くベトナムの文化を学問的にも深めること。さらに日本人向けのベトナム語学習書や、ベトナム人に日本語を教えるビデオコンテンツの制作も進めたいという。

「自分のパフォーマンス、表現という点でもオリジナルソングをリリースするとか、演技をするお仕事もオファーがあれば全力で取り組みたいですね」

YouTuberから本格的な映画女優へ。彼女のシンデレラストーリーはまだ終わらない。