「キスシーン」にどきり。でも

20年初め、ホーチミン市に戻った彼女はオーディションを受ける。事前に台本を渡され、その内容を映画スタッフの前で演技をする選考方式だった。それは主人公から中谷さんが指輪を渡されるシーンで、セリフが2つ、3つあり、指輪を渡され驚いてみせるという演技だった。さらにト書きには「そしてキスをする」とまであったので、中谷さんはどんなイケメンとのキスシーンなんだろうかと思わず想像したが、さすがにそのシーンは要求されなかった。

オーディションのあと、中谷さんは「キャストに選ばれたらラッキー!ぐらいな気持ちでしたね」と笑う。この時点でも彼女はまだ映画の撮影とは思っていなかった。後で聞かされたが、オーディションには中谷さんを含めて日本人が8名も参加していたという。この役はベトナム人女優が日本人役を務めることも検討された。だが監督の「日本人女性の雰囲気は日本人にしか出せない」との強い希望で、日本人女性で映画に出演できる人物を探していた。その過程で監督の知人がYouTuberの中谷さんを見つけ、オーディションへと誘うメールとなったのだった。

映画のなかの1シーン(ご本人からの写真提供)
映画のなかの1シーン(ご本人からの写真提供)

オーディションを受けてから2か月間、主催者からなんの連絡もなかった。「自分は選ばれなかったのだろう」と思っていると、突然、「衣装合わせにきてください」「髪を切ってください」「カメラテストをします」と断続的に連絡がきた。たがそれまでもまだ自分が選ばれたとは聞かされなかった。

「最終的に自分が選ばれたことが告げられたのは、オーディションから半年以上たった20年8月でした。コロナ感染が広がって、ホーチミン市でも厳しい社会隔離が実施されている最中でした。私の役どころはベトナム語の話せる日本人女性ということでした」

ベトナム語を学び、YouTuberとしてカメラの前に立つことに自信のあった彼女だったが、台本のベトナム語には苦労させられた。新しい単語や表現もあり、6年間留学をしてベトナム語を学んでいたとはいえ、読み解くのに1ページに1時間から1時間半かかった。言葉を深く理解するためにベトナム人の友人の力も借りた。