つげ義春と水木しげる

――仕事以外で水木さんと一緒にどこかに行ったりは?

なかったですね。水木さんは僕よりかなり年上だったし、共通点はホントに何もなかったから。共通の興味とか会話の話題もなくてね。水木プロ内でも、話すのは全部仕事についてでした。水木さんも静かなタイプですし。

(浅川満寛)でも、一度水木プロで旅行に行ったことがありましたよね。

ああそうね、行きました。北温泉(訳注=栃木県那須町)にね。

(浅川)つげさんと水木さんは性格的にもかなり対照的ではないですか? つげさんは真面目な、物事を深刻に捉えるタイプですが(笑)、水木さんはわりと楽観的で。

そうでもなかったですよ。水木さんは普段おどけて見せてたけど、実際はすごく繊細な人でしたから。

(浅川)実際、つげさんは水木プロではキャラクターを描くだけじゃなかったんですよね。当時、『ゲゲゲの鬼太郎』はアニメにもなってたし「少年マガジン」で週刊連載されてましたから、水木さんは毎週の締め切りに追われていて、ストーリーのアイディアがでなくなるとつげさんに助けを求めたと池上遼一さん(訳注=当時、水木プロのアシスタントの1人だった)から聞きました。「ゲゲゲの鬼太郎」のストーリーの中には、つげさんが考えたものもあるかもしれませんね。

――2019年から、あなたの作品はフランス語と英語の両方に翻訳されます。かなり長い待ち時間でしたが。

82歳で初海外の漫画家・つげ義春「海外翻訳版が長年刊行されなかった理由」_b
フランス語版と英語版の『つげ義春全集』より、それぞれの「ねじ式」(右/Cornélius, 2019)と「紅い花」(Drawn & Quarterly , 2021)の表紙。撮影=筒口直弘[新潮社]

なんでそんなに時間がかかったかですか……これは説明するのが難しいね……。僕はずっと人から注目されるのを避けてきたんですよ。脚光を浴びるのが苦手でね。静かに過ごしたかったんです。日本語で言うと「いて、いない」と言うんですが……。社会と関わりを持たずに隅っこの方に暮らして、とにかくほとんど目立たないようにという。