水木プロで働くために調布に引っ越し
――あなたは調布に長い間住んでいますね。調布はどんなところでしょう?
うーん……何というか……まあ、嫌いじゃないですね。最初にここに引っ越したとき、1966年頃でしたが、その頃はまだこのへんは田舎の村みたいだったんです。それまでは東京の都心に住んでいたのでびっくりしてね。当時まだ馬車を使って物を運んでいて。ごみごみした都心の方から引っ越してきたでしょう。周りに人がほとんどいない、静かな場所を見つけたのですごく……満足でしたね。そういう場所が自分に合ってるので。
――今はそうでもない? それほど好きではないでしょうか?
そうね。全然変わっちゃいました。もちろん、お店も、なんでもあるのでとても便利ですけど、特に駅周辺は少しごちゃごちゃしていてうるさいでしょう。自分の好みとはちょっと合わないです。
――水木プロ(原注=水木しげるのスタジオ)で働くために調布に引っ越したのですね。水木さんの仕事はどうでしたか?
悪くはなかったですよ。特別どうってこともなかったですけど。ってのは当時水木さんはすでに有名だったからあんまり知られてませんが、自分は実際、水木さんより2、3年早くマンガを描き始めたんです。だから水木さんから教わることは特にありませんでした。
僕が水木プロで仕事を始めたときに、もう若いアシスタントが何人かいたんです。背景を描く人はいたんですが、キャラクターを描ける能力と経験のある人が必要だったので、僕に声を掛けたんですね。水木さんは特に女性を描くのが苦手でしたから(笑)。
――あなたの女性キャラクターは確かにとてもかわいいですね。私のお気に入りの1人は「海辺の叙景」(単行本『つげ義春 名作原画とフランス紀行』収録)に登場する若いファッションデザイナーです。
実際、鬼太郎(原注=水木しげるの代表作『ゲゲゲの鬼太郎』の主人公)以外、キャラクターをほとんど描いてました。