フリースの大ヒットと戦略転換
1998年にフリースという大ヒット商品を生み出したユニクロは次の段階に進みます。
「絞り込み戦略」と「郊外から都心への進出」です。
1990年代半ばまでのユニクロは多品種少量の品揃えを謳い、1シーズンに約400品ほど扱っていました。
しかし、商品数が多すぎて1点あたりの発注量が少なかったため、品数を絞り込んで大量生産・大量販売する「絞り込み戦略」に切り替えます。
400品から200品まで品数を絞り、その分一つひとつの商品の品質を高めました。品数を減らしたことでフリースの大量生産が可能になり、1900円という衝撃的低価格で高品質の商品を提供できるようになります。
同時に、従来の郊外店だけでなく都心進出にも乗り出します。
1998年には若者ファッションの中心地である原宿に出店し、「ユニクロ=安いだけの服」というイメージを「安くておしゃれで高品質」へと塗り替えました。
この時期のユニクロの宣伝は新聞チラシが中心でした。毎週金曜日に新聞に折り込まれるチラシは、ユニクロとお客さんとの重要なコミュニケーションとなりました。
「今週のお買い得はこれ!」というチラシを約52週、1年中欠かさず続けることで、お客さんとの信頼関係を築きました。
ユニクロの製販調整で最もユニークな点が、この「1年かけて計画して、週ごとに調整する」というサイクルです。
毎週金曜日の新聞折り込みチラシの反応を見て、値下げや増産の判断を行うのです。売れすぎたら増産、売れなければ値下げ、欠品しそうなら生産を止め、廃番とする。この週ごとの細やかな調整が、ユニクロの強さを支えています。
1998年のフリースブームの時点ではまだ「売れるものを大量に作る」というプッシュ型の側面が強く、需要予測が外れた際の在庫リスクも大きい状態でした。
2000年代初めには、フリースブーム後の在庫過多をきっかけに、経営の仕組み、特に製造・販売調整を根本から見直しました。
この時期のABC改革(All Better Change)の中心は製販調整で、本部が「週単位」で全店の売上速報を確認し、生産計画を柔軟に変更する仕組みを構築しました。
売れているものは即座に追加生産をかけ、売れていないものは早めに値下して売り切る方式です。
その結果、「売れ行きに合わせて作る」という、現代ユニクロのサプライチェーンの基礎が確立されました。
ユニクロはトレンドを追うのではなく、「いつでも、どこでも、誰でも」着られる服を、ベーシックアイテムに絞って展開しています。「高品質で安い」「着るパーツ」としての服を提供することがユニクロのミッションです。
このポリシーでアンダーウェアを展開したことで、日本人の日常に欠かせないブランドへと進化しました。
ほかにもユニクロにはいくつかのポリシーがあります。
まず、欠品を許さない。ユニクロの哲学の一つが、「必要なときにちゃんと在庫がある」ことです。
そのため、糸→生地→製品という3段階で発注を管理し、標準的な販売期間である1シーズン(12週間)の間に欠品しないよう徹底した在庫管理をしています。
もう一つユニークなのは、「持たざる経営」です。
ユニクロはサプライチェーンや物流も自社で抱えるのではなく、基本的にアウトソーシング(外部委託)しています。
生産はコストの低い海外(中国や東南アジア)に任せつつ、品質はしっかり管理します。この「持たざる経営」が、グローバル展開の原動力となっているのです。













