ユニクロVS.ザラ
日本のポスト消費システムの進化形であるユニクロを、ヨーロッパ・ファッションの最先端であるザラと対比して考えてみましょう。
ザラが提供するのは、かつて富裕層だけが独占していた「時間の先行性」という贅沢です。
ザラの服は、それ自体が目的ではなく、パリコレなどのハイエンドな世界観(記号)へ参加するための「チケット」です。
最新の流行をわずか3週間で手に入れられることは、かつての上流階級が持っていた「情報の鮮度」を民主化したことを意味します。
ザラの顧客は店内で自分に合うスタイルを「発見」し、自らのセンスで編集します。
これは、ボードリヤールの言う「記号の操作」を楽しむ、能動的で知的な贅沢の形です。「売り切れ御免」の戦略は、手軽な価格でありながら、その瞬間を逃すと手に入らないという「希少性」を演出し、消費体験をドラマチックなものに変えています。
それに対して、ユニクロが提供するのは、かつては高価だった「高品質なベーシック」を誰もが日常的に享受できるという「インフラとしての贅沢」です。
ユニクロは服を自己主張の道具(記号)ではなく、生活を支える高品質な「パーツ(部品)」と定義しました。
カシミヤや高品質なアンダーウェアなど、かつては贅沢品だった素材を「圧倒的低価格」で販売し、「生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)の底上げ」という贅沢を提供したのです。
ザラが「飢餓感」を煽るのに対し、ユニクロは「いつでもそこにある」という安心感を提供します。
1シーズンにわたって欠品を許さない徹底した管理は、顧客の「必要なときに買える」という権利を守る、ある種の誠実な贅沢と言えます。
つまりザラは「情報の贅沢(トレンド)」を、ユニクロは「生存の贅沢(インフラ)」を、それぞれ大衆に解放しました。
ザラのファッションでは、トレンドを店側が提示するのに対し、ユニクロのファッションでは、店側が提供する素材をユーザー自身が使いこなすことが可能であり、また必要なのです。
文/坂出 健













