エルメス「ブランドの中のブランド」

ラグジュアリ・ブランドの中でも「エルメス」を別格と感じる人も多いはずです。

その魅力は、簡単には手を出せない価格帯や有名人の御用達ということだけではなく、ブランドとしての「筋の通し方」や「美学」が関連していると考えられます。

エルメスがラグジュアリ・ブランドの王者とも呼ばれる理由は大きく3つです。

①高品質。素材選びから仕上げまですべてが最高級。職人が一つひとつ丁寧に手作り。
②イメージ。伝統的でありながら新しさを感じさせる価値観の更新。
③希少性。大量生産をせずオーダーメイドは数年待ち。

これらがすべて揃って得られる「手間と時間をかけた特別感」が、ラグジュアリの本質なのです。

エルメス(写真/Shutterstock)
エルメス(写真/Shutterstock)
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エルメスは、1837年にティエリ・エルメスがパリで開いた馬具工房がルーツです。皇帝の御用達にもなり、上質な革製品のイメージが定着しました。

息子のシャルル=エミールの時代には、製造に加えて小売もスタートします。

20世紀に入ると車が登場し、馬車から自動車の時代に転換します。当然、馬具の需要は激減しますが、3代目エミール・モーリスがこの逆風を跳ね返します。

彼は馬具づくりの技術を応用して、バッグや財布、ベルトといった革小物に力を入れます。

戦後、社会に出る女性たちに向けて、「布の文化」だった女性ファッションに「革」を持ち込んだのです。

ちなみにこの時期、ファスナーを初めてフランスに導入したのもエルメスです。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

スカーフやネクタイなどのアクセサリーを展開した4代目ロベール・デュマの時代には、モナコ公妃グレース・ケリーが愛用した「ケリー・バッグ」が誕生し、世界中のセレブが憧れるアイコンになっていきます。

エルメスが日本に入ってきたのは1964年です。西武百貨店が代理店契約を結びましたが、最初はほとんど売れませんでした。

しかし、1970年の大阪万博や、雑誌「アンアン」「ノンノ」の創刊などをきっかけに、「おしゃれに敏感な女性」の間で少しずつ広まっていきました。

エルメス日本法人は、スカーフの結び方講座を開いたり、マグカップや小さなコインケースといった手頃な価格帯の入門アイテムを用意したりしました。

エルメスの妥協のない品質が堅持された入門アイテムを通じて、将来の主要商品購入者を開拓したのです。

さらに1985年のプラザ合意以降、円高とバブル景気で高級ブランド全体がブームになると、エルメスのスカーフが一気に市民権を得ました。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

1980年代後半には世界中で「クラシック回帰」の動きが起きます。

この時期、ルイ・ヴィトンが「高品質×手の届く価格」で日常的に使われるようになったのに対して、エルメスは販売数をあえて絞り、「簡単には手に入らない=憧れ」としてのブランド・イメージを保持しました。

この「数を売るよりも、特別さを売る」という姿勢が、逆にブランド力を高めました。

バブル景気が終わり、不況で多くのブランドが淘汰される中でも、エルメスは生き残ります。その理由は明快でした。

希少性を保つ、セールをしない、ライセンス商品を出さないなど、ブランド・イメージの堅持に注力したことです。

ルイ・ヴィトンのロゴ(写真/Shutterstock)
ルイ・ヴィトンのロゴ(写真/Shutterstock)

職人の手仕事で大量生産をしないため、オーダーバッグは2〜3年待ちです。特に希少性の高いバッグは店頭に並べず、上得意にのみ用意されるなど、「誰にでも開かれているわけじゃない」世界観を維持したのです。

エルメスには、職人の手仕事から、広告の世界観まで、あらゆる細部に「一貫した哲学」が込められています。

「物語を持つモノ」としての価値があるからこそ、今でもエルメスは「ブランドの中のブランド」であり続けているのだといえます。