偶発的に発展した中目黒の桜まつり

約4kmの川沿いの両岸に、約800本の桜が咲き競う中目黒。ピーク時には300万人もの花見客が訪れるなど、今や都内屈指の桜の名所だ。今季の花見では、人気ビュースポットの日の出橋に規制用の「滞留禁止」横断幕が設置され賛否を呼んだ。

毎年最も混雑する日の出橋に設置された「滞留禁止」の横断幕。懸念された滞留が解消され、スムーズな人の流れが実現できた
毎年最も混雑する日の出橋に設置された「滞留禁止」の横断幕。懸念された滞留が解消され、スムーズな人の流れが実現できた
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中目黒の桜は、戦後に植えられた桜が川沿いに連なっていたものの、当初は地元の人が楽しむ程度の並木にすぎなかった。目黒川は川幅が狭く、水深が浅かったため大雨が降ると川が氾濫するなどの被害が多かったことから、護岸工事が繰り返されてきた歴史がある。

転機となったのが、東京都による河川再生事業。下水道整備により水質は改善され、遊歩道が整備されることで、歩いて楽しむ川に生まれ変わった。

「1982年の台風と氾濫を契機に、1986年までに河川整備と桜の植樹が実施されました。通常、桜は8m間隔で植えます。ところが、なぜそうしたかの記録が残ってないのでわからないのですが、6m間隔の高密度植栽をした結果、桜の枝が川面にむかってしなだれるようになり、枝が重なり合う美しいトンネル状の景観になったのです」と語るのは、中目黒駅前商店街振興組合副理事長であり、一般社団法人中目黒駅周辺地区エリアマネジメント代表理事の柏井栄一氏だ。

この地で生まれ育った柏井氏によると、中目黒が現在のような桜の名所となったのは“偶発的発展”によるものだと言う。

第40回を迎えた中目黒の桜まつり。一方通行や宴会禁止など、花見のマナーを周知させる看板も目立つ
第40回を迎えた中目黒の桜まつり。一方通行や宴会禁止など、花見のマナーを周知させる看板も目立つ

今年で40回目を迎える『中目黒桜まつり』が始まったのは1987年。中目黒駅前商店街が中心となって始めた地域の小さなお祭りだ。規模も今よりかなり小さく、有志と企業協賛によるぼんぼりが点灯され、屋台や出し物も商店街と地元団体による素朴なものだった。

川沿いの植樹をベランダから見ていたという、目黒川沿いのマンションに40年以上暮らす小高悦子さんは「昔は人もまばらでのんびりとしたものでした。桜の下のベンチに座ってゆったり花見ができた。それがいつしか人であふれ、川にはもちろん、中目黒駅に近づくのも怖くなった」と中目黒の移り変わりを語る。

中目黒に人が集まり始めたきっかけは、代官山アドレス(2000年)、中目黒ゲートタウン再開発(2002年)、中目黒への目黒区役所移転(2003年)など再開発の相乗効果によるものが大きい。川沿いに飲食店が増え、おしゃれな街というイメージが定着し、桜の時期の人出も増え始めた。

「2011年あたりからSNSで口コミが拡散。これまで協賛企業の名入れだったぼんぼりにアイドルを応援するメッセージが増え、推し活の場としても知られるようになりました。クアラルンプールなど海外の空港のトランジットエリアで『世界の桜名所』として紹介され、国際的にも認知度が上がった。

ところが、人出の増加に伴い、川沿いでの宴会、ゴミがマンションのゴミ置き場に山積みされたり、トイレ不足で住宅の敷地内で用を足す人も。さらに店舗前に椅子やテーブルを出して営業する店も出てきました」(柏井氏)

そこで目黒区が座長となり、商店街組合、警察、消防、町内会による対策協議会が設立された。

ぼんぼりは協賛企業名だけでなく、アイドルファンによる推しの名前を入れたものも多い。先着500基の争奪戦が年々激化している。
ぼんぼりは協賛企業名だけでなく、アイドルファンによる推しの名前を入れたものも多い。先着500基の争奪戦が年々激化している。

目黒区は産業経済課、文化・交流課、道路公園課など部署横断の連携で協力。安全上の理由から桜に近づかないように遊歩道やベンチ周辺にロープを張り、仮設トイレを設置し、店舗前の椅子やテーブルを撤去させた。

ところがそれでも止まらない花見客の数。桜がよく見える橋の上は身動きできないくらいの大混雑。初期の対策は焼け石に水で、住民の不満はどんどん蓄積されていった。

滞留を防ぎ、一方通行の流れをスムーズにするため、ベンチにはロープが張られ座れないようになっている
滞留を防ぎ、一方通行の流れをスムーズにするため、ベンチにはロープが張られ座れないようになっている