「よくできてる」だけでは刺激できない部分
──子どもたちのあいだで、ゲームを通じて噂や不穏な空気が広がっていく様子を描いた、せいこうさんの初小説『ノーライフキング』にも、『ビットワールド』と通じる感触があるように思います。
もうほとんど同じだよね。『ビットワールド』は、死や滅亡の気配を感じた子どもたちが自分たちの力でなんとかするんだ! という、まさに『ノーライフキング』の映像版みたいなことをやってた。浮かれた世界の向こう側には怪しい死の世界があるんだよ。
あの小説を書く前の頃、中森明夫君と毎日のように電話をしていて、そこでよく子どもの話をしてた。ある日急に「ノーライフキング」って言葉を思いついちゃって、それで小説を書いた。それを読んだ日野啓三さんが「君の言っていることはよくわかる」と葉書を送ってきてくれたり、柄谷行人さんには「この小説は柳田國男と同じことを言っている」と言ってもらった。
柄谷さんの『児童の発見』もそうだけど、すごい人たちは子どもを通じて世の中を見てるんだよね。
──今はむしろ大人たちの方が陰謀論や都市伝説に騙されているというか……。
そうだよね。しかも面白くない噂に騙されてる。子どもの発想にはどこか「ふざけ」があるんだよ。例えば子どもがどれだけ上手に絵を描こうとしても、どうしたって限界があるわけじゃん。その限界から生み出されるユーモアがある。上手に作られたものもインパクトはあるけど、子どもが作ったものと比べて笑えるかと言われたら別にそうじゃない。
──クオリティの高い画像がAIで簡単に作れるし、子どもが生み出す「不完全さ」や「ユーモア」みたいなものからどんどん遠ざかってますよね。ちなみに今、子どもたちの間ではAIで生成された「イタリアン・ブレイン・ロット」というキャラクターが流行っていて……。
うちの子どももずっと見てるよ(笑)。目玉の飛び出したキャラクターとか見ながらすごい喜んでるもん。やっぱり子どもは気持ち悪くておかしいものが好きなんだよね。不完全な造形というか、まるでAC部が作るようなキャラクターみたいで。
つまり「よくできてる」だけでは刺激できない部分があるんだよ。じゃあその刺激って何なんだ? っていうことが、それこそこれからのAIのテーマにもなるんじゃないかな。「よくできてる」ものは、すごく使い勝手がいいけど、使い勝手がいいだけが人間の快感ではないわけじゃん。
俺もさ、『ビットワールド』をやってきた人間なのに自分の子どもに対してはついつい常識的なところにはめこもうとしちゃうんだよね(笑)。その方が育児はしやすいわけだけど、子どもは僕の見ている「世界」には生きてないわけだからさ。
取材・文/キムラ 撮影/杉山慶伍














